「やおい系」との出会い、そして〜「暗中模索の道のり」(2/3)
当時(1989年頃)高校生になった私は、友達を通じて『JUNE』という「お耽美」「やおい」*1雑誌を知った。
登場人物に感情移入しては、同性への満たされない思いを癒していた。『日出処の天子』、『風と木の詩』などにハマリ、夜な夜な読んでは号泣していた。しかしながら、どうも「遠い国のお話」という感じで現実味には欠けていた。その点『摩利と新吾』は身近に感じられた。
『同性愛の情報に出会うまで』というテーマの智子さんのライフヒストリー2回目。
時代は、1989年、1990年バブル末期の頃。智子さんは高校2年生で、同性(女性)への満たされない思いを、「やおい」本の世界に投影していました。そんなある日……。
●同性愛の情報に出会うまで(智子)
ところが、作りものではない等身大の同性愛者の情報はなかった。
ことにレズビアンのは。
現実にはやはり女性同士なんてありえないのか、と思った。それでもゲイの有名人は何人か知っていたので、女性のはいないものか、知りたかった。
やがて偶然友達が『さぶ』*2を貸してくれた。勝手に持ってきて「見ない方がいいかも」と言われた。写真は正直なところキツすぎて参ったが、文通欄は「満員御礼」だった。それで、かなりの数の同性愛者がいる、ということは分かった。それに通販のページも商品の種類が豊富で、同性愛にもいろいろな好みの人がいることも分かった。
(智子)【続く】 ●同性愛の情報に出会うまで(智子)
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