「まわりの視線と自分の振るまい」へのクロスコメント(智子)
「まわりの視線と自分の振るまい」へのクロスコメント〜智子さんから正和さんへ
今日は、正和さんのライフヒストリー『まわりの視線と自分の振るまい』を読んで智子さんからのクロスコメントです。
●まわりの視線と自分の振るまい(正和)
中学生の時好きだった子は、皆からよく“さらし者”にされて、いじめられていた。
そんなとき、僕は助けることができなかった。
止めることができなかったのは、単に度胸がなかったから、ということももちろんある。
ただ、割って入ることで、彼に対する「好意」が、公衆の面前にさらけ出されるような気持ちもあって、それも怖れていたのでは?
と今となって思う。
(「まわりの視線と自分の振るまい」第2回より)正和さんへ クロスコメント(智子)
彼を思う気持ちが、バレることを怖れて、助けられなかった−−というところは、ちょっと状況は違うけれど映画『さらばわが愛』のワンシーンを思い出しました。自分の考えが確立していないと、切羽(せっぱ)詰った状況で、相手をかばえるなんてできないでしょう。まわりの視線を気にして自分を押し殺すという時期を経て、私もふてぶてしくなっていったな、と思いました。(智子)
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