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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

地獄まで持っていく、とは言うけれど(2/2)

●「親」と「支援者」

思春期の頃に“素の自分”を、親に見てもらう時機がなかった同性愛者なら、親から本当の意味で受け入れられたときこそ「大きな力」になる。 親の理解が「親だから」から出発したとしても、それが真の意味で「同性愛者たちに対する支援者」になったとしたら、うれしいものだ。

〔「地獄まで持っていく、とは言うけれど(1/2)」はこちら

●親子の「名前」

親子関係の象徴的なものが「名前」だ。親子の間で交わされるお互いの呼び方。そこに「親子」という関係がよく表れる。多くの場合、親は子供を「下の名前」(あるいは、名前を変形した愛称で)呼ぶ。逆に、子供が、親を下の名前呼ぶことはそんなに多くない(ように思う)。(親の世代や男親か女親か、によっても違ってくるだろうが...)

一方、会社など公的な空間では、互いを苗字や役職で呼ぶことが多い。実際、アカーのメンバー同士が事務所で話すとき、互いに「苗字」で呼び、呼ばれることがほとんどだ。

ところがそんなアカーという場に「親」という存在が訪れる、「親と子の集い」の場合は事情が少し違ってくる。「親と子の集い」で、会員である子供は親をなんと呼び、集いに参加するためにやってきた親ごさんは自身の子供をなんて呼び、そして会員同士は互いをなんと呼ぶのだろうか?? 

具体的にはこういうことだ。例えば「山田」さんという、メンバーがいたとして、そのご両親、そして弟さんが集いに参加するとする。カウントすると集いには、「山田さん」が4人もいることになる。世間の慣習だと、「山田さんのお母様」、「山田さんのお父様」、○○さん(山田家の子供の下の名前)という感じだろうか? あるいは、全員フルネーム?

私Arashiの場合、恥ずかしい話だけど、実家に電話をかけたとき、30を越えた今でも、幼稚園の頃から呼ばれてきた呼び名である「アー君」でときどき呼ばれることがある。逆に、意識しない限り私は、母を「ノリコさん」とは電話口では呼ばない。電話の時はそれでよいかもしれないが、ある意味「他人」がいる公共の場で、母が私をどのように呼ぶのか、考えてみればとっても興味深い。

●呼び方を逆にするゲーム

5月11日のミーティングでは、親子間のそんな微妙な関係を少し意識していただくために、当日集まったお母さま方と、ちょっとしたゲームを試してみた。
親は子供を下の名前で、親は苗字で呼ぶという、いつもの関係を逆にしてみたのだ。つまり、話中に、息子・娘が出てくるときでも、彼ら彼女らを「苗字」で呼ぶようにして、いつもは互いを苗字で互いを呼んでいる母親たちも、ファーストネームに「さん」をつけて呼びあってみよう、としてみた。呼びかける相手に、熊のぬいぐるみを投げて、まずは実践練習。お互いを名前で呼び合っていた女学生時代(??)に戻って感じが楽しそうで、見ているうこちらも結構新鮮だった。

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これはただのゲームに過ぎないが、親子の呼び名に含まれる関係に端的に出てくるように、同性愛者の子供を持つ親が「親から支援者」になっていくとき、なんらかのパラダイム・チェンジが必要だと思う。

「子供は自立した成人である」という自覚であったり、「親」というアイデンティティ、だけではないアイデンティティを育みながら、支援者になっていけたらよい。

親と子の関係、これからも考えていきたいテーマがたくさんある。(Arashi)


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