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QMblog's blog

レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

ゲイの楽園ではなかった『EDEN』(辛口ごめん映画!)

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映画『EDEN』の舞台となる新宿二丁目のショーパブ『エデン』は、少しも楽園なんかしゃなかった。「パラダイス」という名のラブホテルが、利用者にとってほとんどの場合、楽園でないのと同じ意味で。


何より山本太郎演じるゲイ役のミロの「まがい物」感がよくない。




ほんとはゲイのこと気持ち悪いと思ってるでしょ、という人が、一生懸命ゲイを想像して演じてみました、という感じのオネエ言葉は好みの問題だとしても、ゲイという設定のはずなのに、あんまりその性的指向が伝わってこない。キャラクターの向こうから、ゲイであることの生活や感情に基づく“一貫性”が感じられないのだ。



仲間が死んだその日に、ストーカー被害に会った女性のために仕返しに立ち上がったかと思えば、過去にトラウマのある別の女性に寄り添ってみたり、自分のお誕生日会でみなに感謝してみたり……。まるで、瞬間、瞬間の刺激に、条件反射的に反応しているかのような、思いつきや気分でしか動いていないような展開に、いったい何がしたいの?という疑問符ばかりが浮かぶ。


また山本太郎が、喰ってかかる、同性愛者たちを悪く言う社会の側の言葉にも、あんまりリアリティがない。


「ホモのくせに」(正確なセリフ忘れましたが、)という言葉を投げつける二人の警官が出てくるが、たとえホモフォビアの感情を持っていたとしても、現実社会では、それが、もっと巧妙な表現が使わられるから苦しいのだろうけど…。


【以下ネタバレ】

そして、山本太郎が演じるミロの“一貫性”のなさは、自らの母親に電話をする最後の方の場面で極まる。


この物語の最大の山場は、その電話のシーンの前に出てくる、千葉の実家に娘として帰ってきたトランスジェンダーの息子の亡骸を受け入れる大女優「藤田弓子」の鉄板の母親演技である。この場合の、母親の愛とは、すべての性的指向や性自認を溶かして、そんなことどうでもいいんだよ、というものでなく、息子(娘)の生き様を、せめて死の場面で、母の方から全面肯定で受け入れたというものだとするなら、最後のシーンでの山本太郎の母親への電話はいったい何なのだろう?


新宿二丁目の「エデン」に戻ってきた、ミロは、震災の時にも、帰省しなかった、宮城県にいる母に電話をしてみようと思い立つ。「結婚は?」と聞く母に、お母さんみたいな素敵な人にはなかなか会えないから、という意味の事をいってお茶を濁すミロ。


ええええ!カムアウトしないの??!
というのが私の心の叫びだった。


この社会で、親にカムアウトしていない同性愛者がまだ多いという現実に関係なく、やはりこの物語の一貫性やキャラクターの一貫性という点では、ミロは母親にゲイとしてカムアウトをすべきだったと思う。


原作がそのようになっていないにしても、やはり変えてほしかった。


それが、死をもって親にカムアウトしたトランスジェンダーの仲間と、そのカムアウトを受け入れたその母親へのせめてもの尊重だと思うから。



というわけで、号泣必須とすすめられた映画だったけど、私は泣けなかったです。

ちょっと辛口すぎたかな。


EDEN』東京では、12月7日までのようですね。


映画観たみなさんからの感想も聞きたいです。



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