ハーヴェイ・ミルクの暗殺
「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
1978年11月27 日に保守派の市政執行委員であるダン・ホワイトによって、ジョージ・モスコーニ市長とハーヴェイ・ミルクはサンフランシスコ市庁舎のオフィスで射殺された。
この時に、亡くなった2人の追悼集会に参加した人は2,000人にもおよび、みな手にキャンドルのともしびをかざし、言葉もなくマーケット通りを行進した。
ソース:画像はSFGate.comより
ハーヴェイ・ミルクおよびジョージ・モスコーニ市長亡き後、新市長のダイアン・ファインスタインはミルクの遺志により、もうひとりのゲイの指導者であったハリー・ブリットを市政執行委員に指名した。彼は、ハーヴェイ・ミルクのようなカリスマ性は有していなかったが、ハーヴェイ・ミルク民主クラブが彼を全面的に支持し、1979 年の選挙では容易に選出され、また、1980年にも再選を果たした*1。
【続く】 「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
※(本記事は当時のアカーの機関紙『ゲイ・ライツ』の1993年臨時増刊号に掲載された同名記事をベースにしています)
*1:ハリー・ブリットは1980 年の選挙では、市政執行委員選挙のシステムが地区単位ではなく全市から選出されるというものに変わったにもかかわらず容易に再選を果たした。これはゲイが選挙においてひとつの大きな勢力になったということを意味している。