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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

クロスコメント(正和から智子へ)

―――レズビアン&ゲイのライフヒストリーの筆者、智子さん、正和さんが、それぞれのライフヒストリーにコメントを寄せています。今回のテーマは「初恋」。まずは正和さんから智子さんへのクロスコメントをどうぞ。(Arashi)

あの頃をみつめて

ライフヒストリー・スナップ


 クロスコメン:『初恋』

(正和→智子)

正和→智子クロスコメント

家族の食卓に、私が呼ばれたときも、「良い友達」を演じながら、悦子に近づくことができた喜びを感じていた。けれども、彼女を含め、彼女の家族も、「仲の良い友達」としてしか私を見てくれていないことに絶望的な虚(むな)しさもあった。(智子1回目)

◆初恋の相手に、「良い友達」を演じながら虚しさを感じるというのは自分もよくありました。一緒にいればいるほど思い知らされることなんですよね。相手が自分とは違うということを。(正和)

正和→智子クロスコメント

中学3年の頃からファンになった女性タレント(斉藤由貴)に、それまでのお気に入りとは違った視点で見ている自分に気がついても、考えるという作業をしなかった。

自分のセクシュアリティを考えるなどという発想が無かったのだ。(智子2回目)

◆自分は特定のタレントのファンになるということはありませんでしたが、中学時代から自分の好みのタイプかどうかという視点で人を見るようになっていったと思います。(正和)

正和→智子クロスコメント

友だちのいない悦子には、私が必要なのだ。


そんな、おこがましい思い込みが、「ヤマシイ気持ち」の建前になっていた。


そうでもしないと、やってられなかった。


それから8年近く、悦子にカムアウトして玉砕するまでの間、あれこれと他の女性に気持ちが行くことはあったが、それでも執念(しゅうねん)深く悦子を想い続けた。


あの夏の日の午後、そのまま自分の欲望を悦子にぶつけていたら、8年近くも長い間、想い続けていただろうか?


自分の気持ちを押し殺し、罪悪感と同居しながら「悦子の一番そば」を維持していた日々がムダだったとは思わない。(智子4回目)


◆好きな人の傍にいるために、自分の気持ちを隠しながら思い続けるということは、同性愛者の多くが経験しているとことと思います。人によってはそんな時間が苦しみや悲しみだけの記憶と感じてしまう人もいるかもしれませんが、自分も智子さんと同じように、その時間は自分にとっては必要な時間だったと思っています。


むしろ、あのころの自分の方が相手の外見にとらわれずに、日常の自然な関わりの中で自然に人に魅かれたり、好きになったりしていたのでは、ということを、最近になって考えたりしています。(正和)