「『友だち』と『仲間』」〜ライフヒストリー
「友だち」より「仲間」
レズビアンと自覚してから私は、
「友だち」ではなく、同性愛者の『仲間』を求めた。
レズビアンとして「独りにはなりたくない!」、
と強く強く思ったからだった。
今の私にとって「友達」よりも「仲間」の方が重要。
レズビアン・ユース「みかこ」さんが書く「『友だち』って」ということをテーマにしたライフヒストリー連載の第4回目(最終回)です。(Arashi)
「仲間」って何?
では、何をもって「仲間」なのか?、
と問われることもある。
そんなときは、誤解を恐れずに答える。
「同性を好き、もしくは同性愛者であれば仲間である」
と。
「友だち」と呼ぶけれど
そんな仲間たちを、「仲間」と呼ぶことはほとんどない。
逆に、あれほど嫌っていた「友達」という言葉で、呼ぶことの方が多い。
これはただの「言葉」の問題でしかない。
「友達」という言葉は、毛嫌いする必要はなく、
レズビアンとして、ただ便利に都合よく使えればいいんだと思ったから。
やっと理解できた存在
レズビアンだと自覚する前には、理解できなかった「友達」という存在。
それはレズビアンとして自覚して、「仲間」という存在を見つけだしたことによって、理解できた。
ヘテロたちがいう、固定観念的な「友達」に振り回されず、
そして言葉だけではない「友情」や「仲間」を得ることの意味は、
ここでどんなに熱弁しても、いくら文章を書いても伝えられない。
それは、気持ちや、行動や、目に見えるもの、耳に聞こえるものではなく、感じるものだからだ。
それは、また自分が相手を「認識する」ことだ、と思うからだ。
(みかこ)
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