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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

「ミソ煮込み」〜ライフヒストリー(みかこ2回)

その頃の私は「自分が生きる意味」を見出したがっていたし、自分の周り(分かりやすく言えば「社会」だが)と自分の意味を知りたがっていて、色々な場所に行き、色々な人に会い、色々なことを話し、色々なことを考えていた。

みかこさんの、ライフヒストリー『ひらめく発掘〜同性愛者だと気づいたとき〜』の2回目です。



 
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そして、いつしか自分が「女の子が好き」ということを認識し始めた。と同時に「人として男性も好きになる。そしてそんな私は男だろうか? それとも女だろうか? どっちか?」。



そういったことも、脳みそがグツグツ言うほど考え、いつしか「私は両性になりたい」というようになっていた。しかし、両性になりたいと言っていながら、自らが「女」であるという自覚と認識はなかった。でも自分が両性ではない自覚はあった。



性自認を考えるのは難しかったが、答えは(自分がどうなりたいかは別として)簡単に出た。それは私が持っている身体の作りであり、周りから「女の子」として認識されている事実であり、戸籍であり、その現実を認識すれば、自分は女なんだなと「分かりきった」ものだった。



しかし、性的指向の答えはそう簡単には出なかった。



それは、「男女ともに好きである」と思っていたこと、また、性的指向を考えることは、新たな自分への「名づけ」であったから。私は自分についた名前に意味をいつも見出せないでいた。


「子ども、未成年、不登校、女、日本人」などすべて他から与えられ、いつの間にかそう安直に呼ばれ、それに返事をいやいやながらもしている自分もいやだった。


だから、自分がレズビアンと名乗るか、バイセクシャルか、セクシャルマイノリティか、ヘテロセクシャルか、などなどは自分で「名づけ」たかった


(みかこ)〜【続く】

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