「井田さんの本に寄せて」〜(文:Kimiyo)
井田さんの本に寄せて
井田さんが、亡くなられて、もう六年になるのですね。
十二年前息子のカミングアウトの後そっと渡された何冊かの本の中に、井田さんの『同性愛者たち』がありました。
プロローグから始まる本の内容は、まさに息子が悩みぬいてアカーにたどり着き、そこに自らの居場所を見つけた。そのアカーの発足から、歩みを井田さんが取材しながら真実を書いたドキュメンタリーでした。
全体の強烈な印象の中にも、私が忘れられない一節があります。
サンフランシスコに新美さん達(パレード)を取材した時の文章の中に「日本にいるとき、新美はつねに短気だった。無口だが怒りっぽかった。」パレードに参加した後、「何が彼を安堵させたのか」「世界は初めて俺に生きていいと言った」
息子のカミングアウトの翌日の衝撃さめやらぬ私は熱いもので眼が塞がれ、しばし先を読むことができなかったことを思いました。 何故なら息子がまさにアカーと出会って、生きてゆける自分を見出したことと重なったからです。
新美・永田・風間・神田・大石・永易・古野さん達の、それぞれのアカーとの最初の出会いにも運命を感じ、その中に加わろうとしている息子にも運命を重ね、心が落ち着き、安らいだことが昨日のように蘇ります。「去る者 日々に疎し」といいますが、アカーに関わる方々の場合「日々に懐し」ですね。その存在がとても大きいのです。
きっと井田さん、風になって、鳥になって、花になって いつまでも見守ってくださるでしょう。
(「Kimiyo」さん)
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