ジェンダーフリーと女系天皇論
国分寺市が、東京都からの委託事業である人権講座の講師に上野千鶴子氏を招こうとしたところ、都教育庁から待ったがかかり、彼女の講師招聘ができなる、ということがあったそうです。その理由は、上野氏が、ジェンダーフリー論者だからとか。
QMのメディアチェック・コーナー「ウの目・タカの目・QMの目」。今回も、投稿はYanagihashiさんです。
【汝混乱する事なかれ】
内閣府や東京都教育委員会は「ジェンダーフリー」の定義をあきらめその用語を使わないことにした。
それは、行政は万能ではないという当たり前のことを宣言しただけであって、
そのような場合、その用語の定義は「思想の自由市場(経済の自由市場は最近大歓迎されているのに比べ、こちらはあまり歓迎されていないが)」
における説得と納得の作用に委ねられることになるだけだ。上野千鶴子氏が、「ジェンダーフリー」という用語を使って
差別を助長するというならまだしも、
人権保障の一環として事業を行おうとする時には、
できるだけ多様な立場にある人々の人権を保障するのが行政機関の務めである。東京都教育委員会は、google:府中青年の家裁判から何も学んでいない。
【汝初心忘るべからず】
女系天皇は伝統に反すると申し立てる人たちがいる。
天皇家の系譜は天照大神(アマテラスオオミカミ)から
始まっているのだから、
日本の天皇はそもそも女系である。そして、天宇受売神(アメノウズメノカミ)の肌も露わな踊りによって天の岩戸から姿を見せた彼女は、日本最古のレズビアンであったという解釈を、同性愛者なら、微笑ましいものとして、肯いてくれるだろう。
私たちの伝統と彼ら/彼女らの伝統は大いにかけ離れているのである。
このような場合、近代民主国家で、天皇制という法制度を設計するときには
できるだけ憲法に反しないようにするものである。現在の日本国憲法には、女系天皇の否定を正当化する根拠はない。
彼ら/彼女らは高天原の主宰神と人間宣言をした統治権の総覧者にどのような申し開きをしようというのか。