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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

「意志のある風景」〜井田真木子と私(のぐち)

意志のある風景〜井田真木子と私〜のぐち・てるこ

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井田さんの著作『同性愛者たち』の中で、井田さんとアカーとの出会いは91年2月のあるTVニュース、と記されている。アカーが東京都を相手に起こした損害賠償裁判、「府中青年の家裁判」の提訴の報道だった、と。




異性愛者の井田さんはアカーと接触したいと希望し、行動した。そして、その実現までに1日半かかった、と本の中にある。その時間こそ、異性愛社会から同性愛者への距離とも書いておられる。



この出会いは幸運だった、と私はつくづく思う。井田さんが亡き人になってしまった今はなおさらそう思う。井田さんにとっても意味のある豊かな出会いであった訳だけれど、アカーの皆さんにとってもかけがえのない、確かな良き出会いだったと喜ぶ。


「社会の一員として生きる同性愛者とはどのようなものなのかを知りたいと思った。(中略)性的指向において対照関係にある異性愛者と同性愛者の共存の現実的な意味を、いわば肌身に近い感覚を含めて十全に知りたいと思っていた。(本文22ページ)


井田さんの言葉のひとつ一つが率直で的確で、そして誠実だなあ〜と感じる。


異性愛者の私が、アカーの存在を知り、「府中青年の家裁判」2審の傍聴に初めて行ったのは、97年の初頭だったと記憶する。そして、私も、戸惑いながら、同性愛についてきちんと知りたいと切望していた。



井田さんは同性愛・同性愛者について十全に知りたい、という思いにつき動かされて、アカーの7人のメンバーと接触していく。その1人1人へのアプローチの仕方が自然体ながら迫力がある。そして、彼ら同性愛者の生の喜びと嫌悪を、静かに、または鋭く活写する。ここまで個人の内面に踏み込むなんて有りなのか?と読んでいて戸惑うシーンも少なくない。だが、そこには、ゆるぎない信頼関係で取材者と被取材者が結ばれていた、結ばれるに至ったプロセスがあったのだと推測する。



この本のエピローグでは、大石敏寛さんをはじめ、7人の皆さんのそれぞれと井田さんとの、電車内で、或いは街角での会話を交換する風景が点描されている。私の好きな風景だ。



だが単なる東京の街角の風景ではない。同性愛者の生活の風景なのだ。そして、その風景には意志がある、と私は感じた。同性愛者への差別と抑圧に抗していくというアカーの意志である。井田真木子さんが深く共感し、伴走することを強く望んだ意志でもあるのだ。


支援者というアカーでの小さな居場所が私にもあるのだろうか。あるとしたらとても嬉しい。井田真木子さんとの出会いをプレゼントして頂いたことも感謝・感謝である。


(のぐち・てるこ)



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