「1992年12月サンフランシスコ」〜井田真木子と私(文:大石)
1992年12月サンフランシスコ〜大石敏寛
92年12月、サンフランシスコのジョージのもとへ(井田さんと)二人で出掛けました。
病状の進行しているジョージの姿に自分の気持ちは沈みきってしまった。ジョージの元を去った後、僕は、ただ悲しむだけで、それ以外の何も考えることができなかった。そんな時、彼女は、僕をただ慰めるだけでなく、悲しみの奥に潜んでいる自分の気持ちに向き合うために、いろいろと問いかけてくれた。質問されることで、病状の進行していたジョージが僕に語ってくれた一言一言に向き合えた気がする。
彼女にとっては、もしかしたら、取材の一環だったかもしれないが、それ以上に彼女は、僕に目の前の出来事から目をそらさず、そこから見えてくる自分の気持ちに向き合う大切さを教えてくれたのではないかと思う。悲しんでる人を慰めるのは同情と哀れみであり、そこからは、なにも生まれない。しかし、悲しみの奥に潜む自分の気持ちに向き合うことを手伝ってくれれば、そこから、多くのことを得られる。ジョージとのことだけでなく、彼女は、常に、病気である僕を慰めと同情の対象としてつきあうのではなく、彼女を通して僕が前へ進むことができるように、語りかけてくれていた。今、こうして、僕が、活動を通じ多くのことを考えられるようになったのは、彼女との出会いがあったからだと、今さらながら思います。
(おおいし・としひろ)
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