親へのカムアウトから1年を経て
2007年の12月に両親にレズビアンとしてカミングアウトをした、帝(てい)さんのカミングアウトのプロセスを記したエッセイの第5回目です。
今回からは、両親へのカミングアウトから、1年経った節目としての振り返りで、2008年12月に帝さんが書かれたものを転載させて頂きます。
カミングアウトから一年。
どんな一年間を帝さんは、過ごされたのでしょうか?
●親へのカムアウトから1年を経て〜カミングアウト・プロセス(帝)
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2007年の12月。
カミングアウト直後、
私は親との「間」を空けまいと、かなり必死でした。
具体的なアフターフォローが難しくても、
とにかくとにかく、無理矢理にでも顔を突き合わせておけば、
両親の心の動きは読めるだろう、と。
実際、足は重かったのですが、
金曜にカムして、月曜には「どーも。」と実家へ。
職場の昼休みを使ってマメに行けるうちに、
距離を詰めておくべきだと思い、
カム後も、なるべく密に通って昼食を親と共にする日々。
しかし、
直後のぎこちなさったら、
ちょっとキツかったです。
親にしてみれば、
動揺もあっただろうし、
私に何を聞いていいものやら、
言葉が出なかったのでしょう。
最初の印象では、
反応もノリも良かった母は、
やはり数日後には考え込んだ様子が窺えたし、父は、話に触れて来ず。
これまでに見たことが無いような、
両親の微妙な空気。
予想していたものの、
当初は何とも言えない寂しさを感じて
気持ちが下降しました。
しかしそれは、
私が親の反応を気にするあまり、
マイナスな受けとめ方をしていたのだろう。
今は変化・融合しているのだから
化学反応は当然と気を取り直し。
もちろん、
そんな心情は彼女に聞いてもらったりしました。
先に展望が
あるのは分かりきっているし、
その為の行動であり。
ならば、
そこはせっかちな私の性分、
止まったら沈んじゃうので、
少しずつでも前へ進む。
正月休みに実家へ寄った際も、
台所でがっつり母をつかまえて話をする。
私の親の場合、
夫婦間のコミュニケーション不足もあったので、
パターンを使い分け、
両親の性格をそれぞれ踏まえて話をしました。
私と父・母、
どちらか1対1で話す場面、
または、2人揃ったところで話す場面、
片方に伝えて、伝達をお願いすることで、
夫婦間の共有をねらったりなど。
ほんと、初めてでしょっ、
て程の両親との向き合いっぷり(笑)。
(帝/2008年12月)【続く】