カストロ地区の歴史
「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
ここで、少し視点をかえて、現在のゲイ・コミュニティであるサンフランシスコのカストロ地区が地理的にいかに形成してきたかということについて触れることにする。
カストロ地区とは、サンフランシスコの海岸から丘の方にむかって延びる目抜き通りであるマーケット・ストリートと、カストロ・ストリートとが交差する地点を中心とする、小高い丘のうえに位置する街のことである。
ゲイが住み始める前にはアイルランド系の労働者が居住する地区であったのが、彼らが郊外へ移ったことによって荒廃が進んでいた。これは、1960年代から70 年代にかけて、アメリカのあらゆる都市において見られた郊外都市運動(郊外に居住しようという動き)の一環であった。
サンフランシスコでも例にもれず、都市の再開発が計画されており、市内のヴィクトリア朝風の建物が取り壊されようとしていた。そのような家屋が多く残っていたカストロ地区では、ゲイがそれらの家を購入したり、借りたりして、修復・改造をおこない、住みやすいようにメンテナンスをすることによって住宅の質を向上させた。
それによりカストロ地区の土地の価格は上昇し、市全体の平均をはるかに上回るまでにいたったのである。この時、ゲイの不動産仲介業者やインテリア装飾家は、自分の能力を住宅市場に活用する可能性を見いだした。
労働市場でさまざまな差別を受けていたゲイたちは、サンフランシスコの住宅市場で生活の糧を得ることを考え、このことは都市の再開発に大いに貢献することになったようである。
【つづく】 「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
※(本記事は当時のアカーの機関紙『ゲイ・ライツ』の1993年臨時増刊号に掲載された同名記事をベースにしています)