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10年目のサヨナラサヨナラ〜映画と“結婚”した淀川長治さん


10年前の今日、1998年11月11日にある高名な映画評論家が亡くなりました。国民の誰からも愛し尊敬された「天真らんまんな永遠の少年の心を持つ、サヨナラサヨナラの小さなおじいちゃん」は、生前、著書(『男と男のいる映画』)の中で「子供のころから男が好きだった」と述べてました。その人物とは、淀川長治。享年89 歳。生涯独身でした。

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淀川さんが1998年の11月に亡くなったとき、当時、紙媒体のミニコミとして発行していた『QM』誌(1999年1月号)に追悼記事を書いたので、淀川さんが亡くなったことを報じた各メディアの論調は、いまでもよく覚えています。


なんと多くのメディアが、淀川さんが生涯独身を通したことを、「映画と結婚したからだ」という報道していたのです。当時の集めた、新聞各紙の見出しのスクラップの中から何点か紹介します。

  • 生涯独身。『ぼくは映画と結婚したのだもの』(読売新聞11月12日)

  • 映画と抱き合い85年。『 好きな映画にいきる自分への罰』 といって、生涯独身で通した(朝日新聞、11 月12 日)
  • 『 映画の子供』育てた淀川さん。映画の楽しさと美を人々に伝え続けた89年、生涯独身を通したが、映画ファンの集まりや日々の活動を通じて、たくさんの『子供たち』を育てていた(朝日新聞夕刊、11月12日)
  • 私生活では母親と二人暮らしが長く、結婚することはなかった。晩年はホテルで独り暮らしだった。『ぼくの色気は映画で発散しているからいいの』 が口癖で、酒も飲まなかった・・生涯の恋人は映画だった。


淀川さんは、同性愛者であったのではないか?ということは、どんな追悼文にも出てきませんでした。記事を書いた誰もが、胸の中に抱いていて、あえて口に出して言うことができなかった、その“不安”の正体とは何だったのでしょうか? 10年後の今日、考えてみたいテーマです。


男と男のいる映画

男と男のいる映画

wikipedia:淀川長治


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