HIV発見者論争に決着 ノーベル賞に仏の2博士
80年代初頭、多くのゲイ(とドラッグユーザー)の命を奪ったエイズウィルスを発見したのが誰か?という論争に最終的に決着が付いたようです。
ソース:HIV発見者論争に決着 ノーベル賞に仏の2博士(asahi.com)
エイズウイルス(HIV)を発見したのはフランスか米国か。長年の発見者論争の最終決着をノーベル賞がつけた。
HIVは83年、仏パスツール研究所のモンタニエ博士らが新種のウイルスとして分離し、LAVと名づけて発表。翌84年、米国立がん研究所のロバート・ギャロ博士らが、独自にウイルスを発見してエイズの原因と特定したと発表した。
しかし、両者の遺伝子はそっくり。米チームの発見前に仏チームから試料が提供されており、「流用ではないか」という疑惑が持ち上がった。
特許紛争に発展したため、87年、当時のレーガン米大統領とシラク仏首相の間で、「米仏両者の貢献と権利は同等」ということで一度は政治決着。88年の日本国際賞(予防医学分野)はモンタニエ、ギャロ両博士に贈られた。
ところが89年、米紙が「第1発見者はモンタニエ博士」と調査報道し、論争が再燃。ギャロ博士は91年に英科学誌ネイチャーで「自分たちが発見したと思っていたのはフランスのウイルスが混入したもの」と敗北を認めた。
それでも米国にはエイズの原因と特定した功績がある。だが、カロリンスカ医科大は発表資料で、ギャロ博士らが見つけたのは「LAVと著しく似ている」とし、仏チーム単独の業績と判断した。
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