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ハーヴェイ・ミルクの登場

「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」

「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」

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ハーヴェイ・ミルクの登場


1973 年になるとサンフランシスコのカストロ地区でカメラ店を経営していたハーヴェイ・ミルクは、市の市政執行委員の選挙にゲイの候補者として出馬した。

彼の目的は、ゲイとして自分を肯定するのみならず、コミュニティを形成し、そこでゲイの政治的勢力を顕示することであった。



このときミルクが獲得した票は17,000 票であった。彼は候補者33人中11番目で落選した。



彼はそれでもあきらめずに、1975 年の市政執行委貝の選挙にも出馬した。この2 回目の選挙では、53,000 票という票数を獲得したが、またしても落選した。



しかしながら、1975 年の市長選で当選した、カリフォルニア州の上院議貝ジョージ・モスコーニハーヴェイ・ミルクを控訴許可委貝会のメンバーに指名した。また、選挙制度を改革し地区別選出にした。



1977 年の市政執行委員の選挙で、ミルクはそれまでに着実に築いていたカストロ地区のゲイコミュニティを基盤に選挙運動を展開し、カストロ地区を中心とする第5地区の市政執行委員として当選した。


彼は、ゲイを公言しながら初めて公職につくことになったのである。


【つづく】

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※(本記事は当時のアカーの機関紙『ゲイ・ライツ』の1993年臨時増刊号に掲載された同名記事をベースにしています)
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関連:wikipedia:ハーヴェイ・ミルク

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