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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

駒尺喜美さんについて

去年の5月に82歳で、亡くなった駒尺喜美さん(文学者、フェミニスト、ライフアーティスト)についてレズビアン・メンバーのくどう・かづこさんにメッセージを寄せていただきました。



駒尺喜美さんについて

(くどう・かづこ)

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(※画像は『コニコマステージ 小西綾・駒尺喜美女性同士の家族友情を語る』わかったぷらんにんぐ、ビデオドック、1992年より)


本棚表側のブックガイドたち

私が実家を出てから17年、今のパートナーと暮らし始めてそろそろ10年になります。その間、本は増殖を続け、今も彼女に「なんでこんなに本が増えるの!?」と怒られる日々を送っています。そうした中で、本棚の表側に必ず陣取っている本たちがあり、その中に駒尺喜美さんの『魔女的文学論』があります。他にも『漱石という人』とか、『紫式部のメッセージ』など、フェミニズムの観点から文学を論じたものが面白く、文学評論を読む、というよりは、ブックガイド的に楽しく読んでいたものでした。


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10代の終わりの頃、70年代後期に読んだ『魔女の論理』

駒尺さんの著作を初めて読んだのは、10代の終わり頃、『魔女の論理』でした。
当時、私は、自分がレズビアンである、ということがはっきりとはわからず、かつ、将来、男性と結婚することになる、と思うと暗澹(あんたん)たる思いで過ごしていました。



こうしたモヤモヤに、何かしらヒントがないかと(早い話、同性愛者であることを正当化するネタがほしかった)心理学や女性学関係の本を読むことも多かったのです。



そうして読んだ1冊に『魔女の論理』がありました。


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『魔女の論理』

この本は、パート1が「エロスへの渇望」から始まるフェミニズム系の論説。パート2がフェミニストの視点から作家(作品)を読んだ評論、パート3が書き下ろしの夏目漱石論となっています。



今読み返すと、「どこをどうするとこういう組み合わせになるんだ?」という感じの構成なのですが、パート1でまずベーシックな考え方ガイド、その後のパートは、実際に文学を読んでみる応用編、という風に解釈すればいいかもしれません。



男性優位の社会の中では、男女間に真のエロスは成り立たない、という主張は、かなり過激な気はしました。それでも、女性であることの生きにくさ、性暴力への怒りなどを感じながら暮らしていた自分にとって、こうしたメッセージは、共感を持って読めました。



また、女性を主体に男性作家の作品を読み解いていくと、彼らの作品の中で描かれる女性がいかに男性社会に都合の良い姿をとっているかが浮かび上がってくるのが、新鮮でした。



初版からちょうど30年経ち、女性の社会的地位は向上しましたが、恋愛関係や結婚生活、セックスにおける女男の不平等感や社会が女性に求めるものの本質はどれだけ変わったでしょうか。



レズビアンであっても、女性である以上、社会や家族から「女らしさ」を求められ、強姦されるかもしれない世界に生きている事実は変わっていないわけで、今の若い女性にも読んでみてほしい本です。



女たちへのまなざし〜吉屋信子論〜


さて、この『魔女の論理』中に、吉屋信子を論じた「女たちへのまなざし」があります。
「主従関係の中での愛を拒否した吉屋信子」、として、作品の中の信子の思想が紹介されています。ただし、吉屋信子がレズビアンであった、という言葉は出てきません。「屋根裏の二処女」という作品の中で女どうしの三角関係、とか、「男と女の関係構造が納得のできぬものであるところに、章子(主人公)の同性愛への必然性があったのである」と言及されている程度です。




実際に、吉屋信子の作品を読んでしまえば、思想からだけじゃなくて、女人が慕わしくて、好きでたまらないのよねー、って感じなので、「ちょっと違う…」とは思いますが、当時の私が「吉屋信子ね、チェックチェック」と思うには十分な文章でした。


そういう意味では、駒尺さんは、私に吉屋信子の作品を読むきっかけを与えてくれた恩人なのでした。


その後レズビアンコミュニティにたどりついて

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(※画像は『コニコマステージ 小西綾・駒尺喜美女性同士の家族友情を語る』より。写真の左の二人が小西さんと駒尺さん)


その後、私も20代になり、レズビアンコミュニティにたどり着いて、駒尺さんが、小西綾さんというかなり年上の女性と、長い年月を共にに暮らしている方だと知りました。
私は、駒尺さんとは面識もなく、この文は、あくまで、一読者、としての思い出に過ぎません。



それでも、こうして著書を読み直してみて、若かった自分が意外に影響を受けていた人だったのだと改めて気づきました。


小西さんを見送ったあと、旅立たれた駒尺さんですが、今回、コミュニティ・メモリアル・サービスで再び、駒尺さんの功績が取り上げられることで、新たに今の若い世代の方が、駒尺さんの作品と出会うきっかけになれば嬉しいです。

(くどう・かづこ)

wikipedia:駒尺喜美



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