ホセ・サリア
「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
●「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
ホセ・サリア
1950年代の、このような厳しい状況の中にあって、人々にゲイの権利を主張したのが、ホセ・サリア(Jose Sarria)であった。
ゲイバー「ザ・ブラックキャット・バー」の歌手であったホセ・サリアは、彼の風刺オペラのパフォーマンスの中でゲイの権利について訴え続け、多くの同性愛者を励ました*1
また1961 年にホセはゲイとして初めてスーパーヴァイザー(市政執行委員、市議に相当)に立候補し、落選はしたものの、7,000票を獲得した。
ゲイであっても立候補する権利があるということを人々に知らしめたのだ。
このようなホセ・サリアのゲイとしてのプライドにあふれた活動は、サンフランシスコの多くの同性愛者を自らの権利に目覚めさせ、本格的な権利獲得の運動へと向かわせることとなる。
サンフランシスコは、ゲイとして初めて市のスーパーヴァィザーになったハーヴェイ・ミルクについてはよく知られているが、彼の立候補する10 年以上も前にすでにこうして立候補していたゲイがいたということは特筆に値する。
【つづく】 wikipedia:Jose Sarria(英語)
※(本記事は当時のアカーの機関紙『ゲイ・ライツ』の1993年臨時増刊号に掲載された同名記事をベースにしています)
■関連記事:
・新連載!「サンフランシスコ ゲイ・コミュニティ形成史」〜はじめに〜
・カルフォルニアで同性婚 日本の同性愛者たちは?
・映画『ミルク Milk』情報〜アップデート
・カストロ・ウォーキング・ツアー
・120名の高校1年生に「同性愛の基礎知識」をスピーチ〜
↑ 面白い記事だったら1clickでQMblogを応援☆
*1:ホセ・サリアは、毎週日曜日にサンフランシスコのユニオン・スクエアで『カルメン』を風刺化したパフォーマンスを演じたが、その終わりに多くの聴衆のゲイを前にして、次のような演説を行なっていた。――あなたたちは、そこに悪い一団がいるということに気づかなければなりません……彼らはゲイバーの外に警察の車を止め、(ゲイバーの)人々の名前を書きとめていたのです…… 彼らはなかへ入ってきて、立ち止まり、一様に人々を脅迫し、人間以下のように感じるようにしむけるのです。非常に恐ろしい一時でした……しかし、私(ホセ)は同性愛者としての我々の権利についての政治的な意見を述べるつもりです……もしあなたがそのような時に生きていて、警察や社会によって行なわれる弾圧を受けたとしたら.. . . . .立ち上がって歌いましよう。「神はわれわれのような同性愛者を救いたもう(英国国歌のかえ歌)」と。でもわたしたちは「神はわれわれのような同性愛者を救いたもう。」と本当は言っていないのです。わたしたちは「同性愛者にも権利はあるんだ」と言っていたのです。――