前史
「サンフランシスコ・ゲイ・コミュニティ形成史」
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〜前史〜
ゴールドラッシュ(1848年頃)によって多くの人々でにぎわっていたサンフランシスコは、そこに集まる人間の多様性により、“モラルの規準”の曖昧(あいまい)な街であった。街のウォーター・フロントとバーバーリーコーストは、水夫、旅行者、渡り労働者、独り者の人たちの集まるところであり、そこでは社会的な規制はあまり厳格ではなかった。
また第二次世界大戦中には、同性愛者であることを理由に解雇された多くの海兵が、サンフランシスコで下船を命じられ、そのままサンフランシスコのノース・ビーチを中心に住み着くようになった。
そのころから同性愛者が多く集まるバーがテンダーロイン地区にできるようになった。そして、それらのバーは同性愛者たちの社交の場になるとともに、しだいに彼らのネットワーク形成の場にもなっていったのである。
これらいくつかのバーのなかに、「ザ・ブラック・キャット」という店があり、後のゲイ解放運動に大きな役割を果たした。
【つづく】
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※(本記事は当時のアカーの機関紙『ゲイ・ライツ』の1993年臨時増刊号に掲載された同名記事をベースにしています)
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