「哀しい」と感じられること(3/3)
昔、学校や職場で、「居場所をここに求めよう」、と思ったことは幾度もあった。ところが自分が同性愛者だということを考えてしまうと、周りと自分は決定的なところで相容れないのだという思いを拭(ぬぐい)い去ることができずに、自分から繋(つな)ごうとしていた手を無意識に引っ込めるようになっていた。
―――ゲイと気付いた頃の「悲しい思い」をテーマにした正和さんのライフヒストリー3回目(最終回)です。
●「哀しい」と感じられること(正和)
「哀しい」と感じられること(3/3)
つなごうとした手を引っ込めることを繰返していると、いつの間にか周りにいる他の人間が「どうでもいい存在」に思えてくる。自分とは違う世界の人間...。そうやって自分と他の人間との間に境界線を引き、深入りせずにいることが、より大きな落胆から自分を守るための防衛手段だったのでは?といまさらながらに思う。
ただその時は気づいていなかった。この方法は両刃の剣であることに。他の人間との関係性に絶望を感じながら、同時に自分自身の明日に孤独しか見出せなくなっていたことに。今でも、体に染み付いたこの「絶望の回路」が無意識に働いて、仲間と手を繋ごうとすることさえ邪魔する。こんな自分を変えていくのは容易ではないが、目をそらしてはいけないと思っている。
(正和)【終わり】 ●「哀しい」と感じられること(正和)
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