光の交歓〜田口ランディの講演と寺子屋映画祭@経王寺
4月20日(日)にメモリアル・サービスでもお世話になった経王寺で、「寺子屋映画祭」が行なわれました。
寺子屋映画祭は、毎年一度開催されるもので、今年は大西暢夫(おおにし・のぶお)監督の『水になった村』というドキュメンタリー映画が上映されました。上映後には、大西監督と作家の田口ランディさんのトークセッションもありました。映画『コンセント』ときっかけに、『できればムカつかずに生きたい』を読み、田口さんのファンになったShingoさんに、レポートしていただきました(Arashi)。
光の交歓〜大切なこと
田口ランディの話と寺子屋映画祭@経王寺(レポート:Shingo) “ホーム”(家)・ベース
『水になった村』は、岐阜県徳山村がダムの底に沈むために、徐々に住民が村を出て、町へと移転していく姿を映し出していた。
ダムが完成に近づき、閉村が迫ってきた。それども、数名の「ジジ、ババ」が、村で暮らし続けていた。食事の準備だけで、半日が終わってしまう。そんな生活だが、みんな楽しそうだった。
この村で生まれて結婚して子どもを育てた、そんな沢山の日々のカケラが、「ジジ、ババ」の笑顔の源で、生きる支えのように感じた。
とうとうダムが完成して、家が取り壊される日がきた。家の前で呆然として「ジジ、ババ」たちはみんな泣いていた。
数年後に、今では町に住んでいるあるババに再会したとき、痴呆も進んでいて、ババの記憶から「家が取り壊された」という事実が、すっぽりと抜けおちていた。また、別のババは、新しくうつった場所が、「宿のように感じて、どうしても落ち着かない」という。
この場面で、僕は、周りの見渡した。経王寺のお堂で一緒に映画を鑑賞している人たちは、泣いていた。隣の人は、ハンカチを頬に当てて、流れ落ちる涙をぬぐっていた。
「きっと、家を失った悲しみの大きさが、みんなの心をうったのだろうな」
他人事のように僕は思った。
「転じる」
ホームであり、帰るべき「ベース」である、とされている「家族」。
家や家族が軋む(きしむ)とき、人の心は痛む。
監督と田口ランディさんの対談も、「家族」というものがテーマでもあったように思う。お話の中で印象に残ったのは、田口さんの父親についてのエピソードだ。
田口さんが言っていたのは『転じる』ということだ。物事を一面でみることは単純すぎる。良いことも悪いことも、表裏一体になっている、といったような話だった。僕は、家や家族についても同じだ、というメッセージとして理解した。
田口さんの父は、漁夫であったそうだ。父は酒乱で、酔っては家族に暴力をふるうこともあったという。彼女はそんな父を憎み、恨んでいた。
「あんだけヒドイ目に合わされたのだから、少しくらい父をネタにして金儲けしたって許されるだろう」。作家になった田口さんは、そんな思いで作品中に父のことをたくさん書いたという。
さらに、父に復讐するため、田口さんは、父の悪態を書いた作品の全ての箇所に付箋(ふせん)をはさみ、父に送りつけたことがあった、という。本は11冊にもなったそうだ。
数日後、父から電話があった。
「娘に言われては、しようがない」
父は答えた。
そして、脈絡のない、ある不思議な話が父の口から出た。それは、幻想的な、「光の交歓」の話だった。
父が漁に出ていた港のひとつに、入り口が壷の口のようにすぼまっている港があった。漁を終えた船が港に帰るとき、沿岸と船とが、互いに光を明滅させる。そうやって、ゆっくり、丁寧に、連絡を取り合わないと、船はうまく中に入ることができない。それだけ狭い入り江なのだ。
しかし、その光が実に美しい。
「今度、その風景を、お前に見せたい」。
自分を責めた娘に、父はそう言った、という。
娘の発した光(かなりキツイ閃光だ)を、父は、父なりに受け止めて、父なりの方法で光を投げ返したのだろう、ということだった。
ここに父娘の関係が、「転じた」瞬間があった、という話だった。
「場」を通じての関係
「家族」だから無条件で「暖かくて幸せな場所」、ということはないと思う。
もちろん楽しいことや愛情も多いけれど、密度が濃いから、逃げ出したいくらいに息苦しいことだって、たくさんある。
複雑な気持ちや関係が、無理やり、ぎゅうぎゅうに沢山詰まっているのが「ホーム」(家)なのかもしれない。
改めて『水になった村』を考えなおすと、「ババ」が泣いているのは、つぶされてしまった「家」という建物に対してだけでなく、家に詰まっているたくさんの「思い出」も含めて、悲しんでいたのだと思う。
はたして、僕は、「家」という建築について、ババと同じようなイメージを抱くことができるだろうか??
僕が生まれ育った東京近郊のマンションが、ある日突然、「実家」で亡くなったとしても、泣くことはないだろうな、と思う。
それでも、「仲間が欲しい」と思い、飛び込んできたアカーの事務所がもし無くなったら、と思うと、また違った視点で「場所」というものを考えることができそうな気がした。
「老人になるまで、今ある場所が当然のように永遠に続くとは限らない、大切にしよう」と。
建物だけでも駄目かもしれない。
人だけでも駄目かもしれない。
場所を通して、そこにいる人を大切にしたい、と思った。
P.S. 田口ランディさんと一緒に記念撮影ができて、新刊『キュア』に
もサインをしていただいて、かなり感激しました。(Shingo)