夜明けまえ〜追悼:春日亮二(1969-2007)
―――ゲイの企業家であった春日亮二さん(1969-2007)は、1990年代初頭から、同性愛者向けのインターネット・サービスや音楽の分野で活躍される一方で、常にコミュニティ活動にも共感を抱いていました。2000年におきたゲイバッシング事件新木場事件に胸をいため、事件3ヵ年を追悼するイベントでは、キーボードを弾きながら、亡くなった被害者にオリジナル曲を捧げることで、思いを共有し偲(しの)びました。
春日亮二さんへの追悼文で、アカー会員のTakeさんは、Takeさんでないと書く事ができない側面や時代背景を振り返っています。そこから浮かび上がってくる春日さんの印象は、これまでとは、また違ったものとして浮かび上がってくるのではないでしょうか?
「夜明けまえ」〜追悼文(Take) 0.春日さん、「がんすけ」さん
さて、どこから始めるのが良いのだろうか。
彼はいくつもの名前を持っていた。それぞれの名前に対応した顔も、持っていたと思う。呼び名を決めることで、彼のどの面を語ることができるのかも決まるような、そんな気がしてならない。
私がいちばん馴染み深いのは、やはり「がんすけ」というハンドルネームである。そこで、これ以降彼をがんすけと呼ぶことにして、がんすけとしての彼について、ひとくさり語ってみることとしよう。
1.「産婆さん」がんすけ
がんすけとの出会いはいつだったろうか。
1980年代の後半のことだったと思うのだけれど、正確なところは覚えていない。でも、絶対に忘れないだろうことがいくつもある。
がんすけはBBSを持っていた。その名も「ガンヘッド」。がんすけが頭を張っているゆえにガンヘッドなのか、あるいは逆なのかはついに聞かずじまいになってしまった。
ガンヘッドは日本で3番目くらいに立ち上がった、同性愛者とその理解者(笑)のためのBBS(掲示板)である。(ここで(笑)を付けた。このようなフレーズには、冷笑的にならざるを得ない)
ところで、枯れ木も山の賑(にぎわ)いと言うとおり、BBSというものは利用者をあつめてナンボである。
しかし同性愛者のためのBBSとあっては、なかなかメジャーに宣伝されることはない、というのが一般的な印象だろう。
しかし、がんすけはガンヘッドの宣伝として、一般青年誌『ビッグコミックスピリッツ』のインタビューを受けたのだった。まさに「We're here!」と、自らの存在をアピールしたのだ。
私自身は青年誌など普段はあまり読まないのだが、その日、会社の休み時間に暇(ひま)を持て余し、傍(かたわ)らにあった雑誌に目をとおし、そのインタビュー記事に出会うことになるとは、これは運命の偶然というべきか。
かくしてその日の晩に早速入会の申し込みをしたのだった。
そんなわけで私にとってのがんすけは、私がゲイとして自覚するきっかけを与えてくれた恩人、産婆(さんば)さんのようなものと言えるだろう。同じように思っている人は、ガンヘッドの会員(当時2000人位だったか)のなかにも多いことだろうと思う。
2.「仲人さん」がんすけ
がんすけは私とアカーを結びつけてくれた仲人さんでもある。
アカーが「府中青年の家裁判」を争っている真っ最中のこと、「第4回口頭弁論傍聴のご案内」が当時の会員によってガンヘッドのイベントボードに書き込まれ、私がそれを目にすることになり、傍聴に赴(おもむ)くきっかけになったからだ。
それだけではなく、ガンヘッドとアカーのコラボレーションに期待をかけて、専用のボードまで設置してくれたのだ。その後、私がガンヘッド内での言動を先鋭化(せんえいか)させた挙句に「同性愛者への差別など存在しない」と触れ回る他のガンヘッド・メンバーと諍(いさか)いを起こしたときも、管理者たるがんすけは私にペナルティーなど与えることもなく、常にサポートに回ってくれていた。これはがんすけがアカーの活動への理解と、それを支援しよう、という心意気の表れにほかならないだろう。
それから何年もたって、がんすけがアカー会員たる「たもつ」氏とパートナーシップを結んだと聞き、「ああ、やはり」とニヤリとさせられたものである。ガンヘッドの管理者時代には会員と大恋愛したり、いろいろと冷や冷やさせられることが多かったものでもあり、ほっとしたのもまた正直な感想だった。
3.がんすけの夢
がんすけはアカーのやりかたとは多少違えど、やはりオープンでパブリックなものを指向していたのだろう。
だからこそ、アカーにも支援的だったし、当時のお互いに交流のない同性愛者向けBBSをどうにかして結び付けようとしていたのだとも思う。管理者どうしでは結構議論していたとは聞いている。
ある日のこと、がんすけが「たけちゃん事務所こない?」と珍しく誘ってくれたことがあった。当時すでに私がプログラマをやっていることは伝えてあったのだが、事務所を訪問したそんな私に「同性愛者向けBBSどうしがデータ交換するシステムを作りたいんだけど、協力してくれないかな」と持ちかけてくれたことがあった。
残念ながら、その頃の私のレベルではとても及ばないシロモノで、忙しさを理由に断ってしまったが、今から考えればちょっともったいなかったろうか。
考えてみれば、今のmixiをはじめとする招待性SNSの乱立は、がんすけの目にはどう映っていたのだろうか。インターネットが個人で使えなかった時代、電話料金を自分で負担し、システムを自分の時間を犠牲にして開発して、そこまでして同性愛者のコミュニティをひとつにしようとしていた、がんすけに。