あの夏の日の午後(最終話)
その後、悦子と私は別々の大学ヘ進学した。
にもかかわらず、悦子は以前より私を頼りにしてくれ、頻繁(ひんぱん)に会うようになった。
悦子のご両親からも、「高校でお友達があまりできないから、是非遊びに来て欲しい」と頼まれた。
両親に頼まれている、ということが私の「後ろめたい気持ち」の救いと自信になっていたのだった。
―――現在30代のレズビアンの智子さんの「初恋」についての1999年のレズビアン・ライフヒストリー。いよいよ最終話です。18歳の夏、智子さんの「初恋」。その後のお話です。(Arashi)
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友だちのいない悦子には、私が必要なのだ。
そんな、おこがましい思い込みが、「ヤマシイ気持ち」の建前になっていた。
そうでもしないと、やってられなかった。
それから8年近く、悦子にカムアウトして玉砕するまでの間、あれこれと他の女性に気持ちが行くことはあったが、それでも執念(しゅうねん)深く悦子を想い続けた。
あの夏の日の午後、そのまま自分の欲望を悦子にぶつけていたら、8年近くも長い間、想い続けていただろうか?
自分の気持ちを押し殺し、罪悪感と同居しながら「悦子の一番そば」を維持していた日々がムダだったとは思わない。
その日々の中で、1992年、私はアカーに出会い、ずっと自分を探してきたのだから。
今では私に大切な人もでき、悦子は友達の中で大切な人となった。
今年の夏も、悦子は留学した中国から帰国しない。
今、私は、私のそばで昼寝をしている愛しいひとの寝顔を眺めている。
(智子)【終わり】