「ジョージ・チョイについて思うこと」(3/3)
「ジョージ・チョイについて思うこと」(3/3)
僕の知るジョージは、社交的で、情熱にあふれ、とても優しかった。1992年、アカーでサンフランシスコに行った時、皆が市議会でトム・アミアーノに遭遇したり観光に出かけたりした興奮の日、僕だけ風邪で一人底冷えする半地下の暗い部屋で居残りになった。
折角太平洋を越えて遥々来た地で 、寝込む自分の体力のなさを呪って落ち込んでいたが、ジョージはお土産にサンフランシスコの写真集(しかも日本語版)を買ってきてくれた。
そして、今日はゴールデンゲートブリッジに行ってきたんだよ、とページを開きながら教えてくれた。あの笑顔が忘れられない。
メモリアル・サービスの行われた経王寺の香や木魚に、落ち着きと安らぎを感じる自分がいた。
そして時としてパイプオルガンやステンドグラスも懐かしい落ち着きを与えてくれる。
それはお寺や教会に出入りした子供時代の記憶が自分のからだに染み付いていることによるものだと最近思う。
さまざまな出来事は忘れても、感覚は残っている。
良くも悪くもそういうものがあるんだなあと思う。
ジョージが末期に中華系移民が通う反同性愛の原理主義教会に足を向けたのも、なんとなくわかるような気がした。
井田さんはこう書いた。
「同性愛者であろうと異性愛者だろうと、人間は誰も歴史からは逃れえない。そういうことなのだろう。」
見えにくい日本の「同性愛者たち」の状況を描くため、ジョージはその光と影の輪郭を強調する存在としてとして登場したと思う。
井田さんやジョージが当時何を考えていたのか、今はもうわからない。
ただ、井田さんにとってジョージは「軟着陸」のための重要な伏線だったのではないか、という気がする。
(しんじ)