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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

「井田真木子ならどう書くか?」〜(文:ただし)

井田真木子ならどう書くか?

(語り:ただし)

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「恐い人」

ありていに言って、僕自身の井田さんの印象というのは、「恐い人」でした。


「恐い人」と、一番印象付けられた出来事はなんと言っても、最初の二人だけの本格的なインタビューのときでした。アパートの一室に、あの人は、日本酒を持ってきたんですね。口先を湿らせて、色々言わせようという魂胆なのかと、思わず勘繰ってしまいました。酔ったせいか、インタビューはいつのまにか、「初体験」の話になっていまして、気づいたら井田さんが、「そのとき、アナルセックスはしましたか?」って、ズバッと聞いてくるんです。

そのとき、「ジャーナリストって恐い人種だな」と思いました。僕がなんと答えたかは、別にたいしたことないので、この場でお話しませんが(笑)。

同性愛を自分自身にぶつける取材方法

当時は裁判のインパクトもあって毎日のようにメディアが電話をかけてきて取材の申し込みをしてきていて、しかしその大半は自分たちの生き方も考え方も変え得ないような、表層をなぞっていくだけのものに過ぎませんでした。井田さんは違いました。同性愛というものを自分自身にぶつけることで自らの生き方や考え方を溶かして作り変えてしまうような、そんな取材方法を選択したのです。


校正の経験

その結果、出来上がった『同性愛者たち』というノンフィクションの校正作業を、幸運なことに僕がやらせて頂く機会を得ました。ファミリーレストランで明け方まで、何回も、何回も読み返したその原稿は、今も実家の部屋にとってありますが、それを読むと当時の僕らの思い、同性愛者たちの思いというものが、井田さんの口を借りて、手を借りて、言葉となって、生まれ出てきたのだ、ということがよくわかります。

同性愛者である「かのように」

先ほどの映像なんかを見ていただくと分かるように、井田さんという人は冷静でありつつも、常に熱い言葉で語っていました。当時のメンバーの一人が、声なき同性愛者たち、声を出さない・出せない同性愛者たちを「無告の民」と、多少の揶揄(やゆ)も込めて呼んだこともありましたが、そうした「無告の民」たる私たち同性愛者の代弁者として、井田さんはあたかも自分が同性愛者である「かのように」、同性愛者を代弁し続けました。当時も今も、中途半端な同性愛者として生きている僕なんかよりも、はるかにいろんな事を考え、発言し、行動していた人、それが井田真木子という人なのです。

行動規範となる大人のモデル

しばらく前から巷(ちまた)では腕にバンドをつけるのが流行っていますね。僕が初めて見たのは、アメリカのバスケット選手がつけている『W.W.J.D.』と書かれたバンドです。スポーツショップなんかでも見かけて、何の略だろうと気になって調べたら、"What Would Jesus Do?"(「イエスならどうするか?」)という意味でした。彼は、クリスチャンなんでしょう、だから自分が困難に直面した時に、「イエスならどうするか」、と考えて次の行動を選択するわけです 。


僕はクリスチャンではないし、お寺さんで言うのも何ですが仏教徒でもありません。しかしそのような僕にも何人か、行動規範の基としている大人のモデルがあります。その一人が井田さんであって、さすがにこの歳になってくると、あまり困難に直面することもないわけですが、それでも何かにぶつかったときに、「井田真木子だったらどうするか?」、あるいは「井田真木子ならどう書くか?どう表現するか?」というふうに、自分の生き方、態度、行動に照らし、選択して動く、ということがあります。

井田真木子の目で

井田真木子というひとつの人格が、井田さんと出会ったその時から、僕の中に住んでいるのではないか、そのように感じることがあります。これからも、井田真木子の目で、そして僕自身の目で自らの生というものを見つめながら生きていくんだろうな、というふうに思っています。

ご静聴ありがとうございました。

(ただし、2007年9月29日)



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