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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

「彼女が立ち向かったもの」〜井田真木子と私(NH)

彼女が立ち向かったもの

(NH、2001年)


享年44歳にして何故、旅立ったのか? 事故や病死、自死でもなく。告別式の別れ際に見つめた死顔をみて実感した。献花に埋れた小柄な痛々しい遺体からも、それは完全にリアルだった。やはり彼女は戦死した、のだと。


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『同性愛者たち』を執筆中、彼女の生活様式は急変した。婚姻制度から離縁を遂げ、一人住まいを試みた。彼女は取材を通じ性的指向を自らのものとし、異性愛者として自覚、性愛に目覚めた。しかし、それは内面化されたホモフォビアと向き合い、同性愛者の側に立つ困難さと同様に、彼女もまた苦悩した。異性愛女性が異性愛男性を求め、かつ性的な権力関係に敏感になれば当然のごとく、異性愛男性のほとんどが性的指向に無知・無理解であり、力学関係なぞ見向きもしない。彼女は同性愛者から学んだ性的指向概念を盾に敢然と立ち向かった。


遂に彼女の作家活動には必ず、性的指向/欲望という問いが必ずモチーフになっている。だからこそオス・ヘテロからのネグレクト(無視)は末恐ろしい。孤高に闘うほど身軽で自由に自らの意志で闘っている「錯覚」を持つ。孤高がいつの間にか、孤立し闘うことが自己目的化されると、八方塞がりへと追い込まれる。このおとし構造こそ、私たち同性愛者が常に貶められるわないつもの罠ではなかったのか。


お通夜と告別式を思い起こすと、血縁中心の家族以外にもその場は開かれ、幅広い結縁の人たちが集まり、私たち同性愛者も当たり前に参列するという冠婚葬祭は、それまで経験したことがないものだった。それだけに私たちへ今後、参考になる死にざまのモデルを提供してくれたように思う。


彼女のことだ。きっとあえ天界に召されるよりは、地獄の中で差別に喘ぐ多くのクローゼットたちを取材しているに違いない。井田真木子は今でも私たちの中に生き続け、彼女のように立ち向かう当事者を必ず育て上げたいものである。
「♪有難う〜有難う〜Best Friends♪」


(NH、2001年)


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