QMblog's blog

レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

「井田真木子と『同性愛者たち』」

『QMblog』では、今日から数回にわたって、アカーのメンバーを追ったノンフィクション『同性愛者たち』文藝春秋社)と、その著者、故・井田真木子さん*1についての記事を投稿します。これは、近日発行される『QM』紙面版からの先行掲載になります。

井田真木子と『同性愛者たち』」

出会い

アカーとの出会いは、アカーが府中青年の家裁判*2を提訴した91年2月、テレビで報道を知った井田さんが、苦労してアカー事務所の電話番号を捜し当てて連絡を取ったのがきっかけであった。



メディアでの活躍

その後、この府中裁判の問題を長期に渡って見届けることを決意し、そこに関わる当事者の声、この問題の社会的背景、裁判の影響などについて、独自の方法で取材を重ねる。91年秋には、『女性セブン』に「東京同性愛裁判」という記事を四回にわたって連載した他、複数の雑誌を通して同性愛や性的指向の問題についても執筆している。



また93年4月にNHKテレビ「ナイトジャーナル」に出演し、アカーが刊行した『ゲイ・リポート』『同性愛報道の手引き』を書評として扱い、当事者の声について紹介した。
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▲1992年4月東京中野 アカーの集会でパネラーとして話をする井田さん


独自の取材方法

取材方法には、で被取材者への長期に渡る個人インタビューや、アカーメンバーの海外渡航に同行しその活動そのものを進行形で取材する方法もあった。アカーとの同行取材には91年6月のサンフランシスコ視察、92年12月のサンフランシスコ訪問、93年6月のベルリン国際エイズ会議などがある。


f:id:QMblog:20080108054917j:image:w500▲1993年6月ベルリン 滞在先でのパーティーで談笑する井田さん

HIV/エイズへの関与

HIV感染者である大石敏寛への取材やベルリン国際エイズ会議*3の同行取材を通じて、エイズ問題についても関心を持ち、当時の社会におけるエイズ認識に対する戦略的な情報発信として「AIDSFRONT」(雑誌『マルコポーロ』)をはじめとする記事を多数執筆した。

著作『同性愛者たち』の影響

1994年1月に出版された著作『同性愛者たち』は、全国の孤立した同性愛者の眼にとまり、その作品を通じて多くの勇気と希望を与えた。またこの作品は井田さん自身の異性愛女性の立場に真摯に向き合った作品でもある。この本を読んだ多くの会員・親・姉妹兄弟、支援者にとってこの本を通して対話が生まれ、その後の同性愛についての理解に深く関与している。


(※上記記事は、2007年9月30日に開催されたNPO法人アカー(OCCUR)のコミュニティ・メモリアル・サービス2007で配布された『追悼集』の文章を改訂したものです)




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*1: 井田さんは、1956年、神奈川県生まれ。会社員勤務を経てフリーライターに転身。[f:id:QMblog:20070928061808j:image:w200]1991年『プロレス少女伝説』(かのう書房)で第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。93年に『小蓮の恋人』(文藝春秋)で講談社ノンフィクション賞受賞。その他の著作に『温泉芸者一代記』『十四歳』『旬の自画像』『かくしてバンドは鳴りやまず』などがある。2001年3月逝去。

*2: アカーが90 年代に東京都を相手に行った訴訟。6年半に渡って「同性愛者の青年の家宿泊利用の是非」が法廷において繰り広げられた。<経緯>アカーは1990 年2月に東京都内にある青年の家で合宿を行った。その合宿中に行われた団体間紹介の時間に、アカーは他の団体へ同性愛者の団体であることを明らかにする。しかし、そのことによって、合宿中に他の宿泊利用者から嫌がらせを受けるトラブルが起きた。この件が発端となり、東京都は、同性愛者の宿泊利用は都民のコンセンサスを得てないとして、その後、同性愛者の宿泊利用を断るという決定をした。アカーはそれをうけて1991 年2月、東京都に対して損害賠償を求める裁判を起こした。判決は1審(94 年)・2審(97 年)ともアカー側の勝訴で確定している。

*3: エイズ問題について世界中の関係者が集まる国際規模の会議で、90 年代前半は毎年開催されていた。第9回はベルリン(ドイツ93 年)で、第10 回は横浜(日本94 年)で開催された。現在は隔年開催されており、昨年はトロント(カナダ)で開催され第16 回を数えた。日本において、94 年の横浜エイズ会議は、エイズを取り巻く多様な社会文化背景に正面から向き合う大きな契機となったと言われている。また、アジア太平洋地域でのエイズ会議も隔年で開催されており、2005 年に神戸(第7回日本)、2007 年はスリランカ(第8回)にて開催された。