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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

キリオの背中


東京都中野区のシンボルといえば?
そう、「中野ブロードウェイ商店街


今回の『Go!中野ウォーカー』は、
そんな「中野ブロードウェイ」*1を舞台にしたお話です。
筆者は、「さかしま」さん。
この季節にぴったりの怪奇物です!



病死したはずのキリオに
十五年ぶりに会ったのは、中野ブロードウェイ一階の雑踏の中だった。


中野ブロードウェイ」とはJR中野駅北口にある、南北約二百メートル、東西約五十メートルの商店街が重層的に四階まで重なった、巨大なショッピングセンターのことだ。



ある雨の降る日曜の夜のことだ。ブロードウェイのひどい人ごみの中、私は買ったばかりの白ワインの瓶を落としてしまった。
誰もが迷惑そうな視線を投げかけ、ガラス片を器用によけて通り過ぎていく。
破片を拾いながらたまたま顔を上げた瞬間、雑踏の他人の顔の波の中に、十五年前に肺炎で死んだはずのキリオの青白い横顔が見えた。私はその場へ凍りついた。
ガラス片はまだ舗道に少し残っていたが、私はそのまま立ち上がり、フラフラとキリオの後を追っていった。
キリオの懐かしい広い背中が人ごみに見え隠れし、近くなったり遠くなったりする。痩せているくせに幅のある、薄いあの背中が揺れる。
ようやく追いついた私は、思わずキリオの冷たい左手を引っ張っていた。


「キリオ……?」


その時キリオは微笑して、十五年前と変わらない、はにかみ顔でうつむいた。
やはり間違いなく、キリオだった。キリオの葬式にも参列し、墓参りにも何度も行ったのに、不思議と恐怖感や衝撃はなかった。行き先も告げずに引っ越していった旧友とバッタリ街角で再会、そんな気持ちだった。
キリオは私の初めての性体験の相手だった。夏に結ばれ、その年の十二月にあっけなく死んだ。同じ年のイトコでもあり、テニス部仲間。享年は十八だった。



私は今年で三十三歳になる。付き合って四年、そして同棲を始めて一年半の恋人がいる。バーで隣り合わせて知り合い、ごくありきたりの付き合いを重ね、同棲をスタートさせた。住み始めの頃の喜びはとうに薄れ、当初は寡黙で実直に見えた彼が、日を置かずみるみる退屈なオトコに変わっていった。
物足りなさを感じつつも、三十代半ばにさしかかり、何となく不安なので一緒にいることをやめられない。
中年期を迎えつつあるゲイの「理由のない不安」が、二人の共同生活を支えている一番の大きな理由だ。
彼の名は恒夫という。私より二歳年上だ。
そしてもちろん彼にはキリオのことは秘密、だった。



キリオは晴れた日に決して現れることはない。
そして奇妙なことに、キリオとは雨が降る夜のブロードウェイでしか会えないようだ。しかも会えても決して口をきかないし、私と視線を合わせようとしない。
死者には死者の、何かルールのようなものか重大な理由があるのだろう。故人と会えるのだ。そのくらいのことには目をつぶろうと思う。
雨の降る夜にブロードウェイの中をフラフラと歩く。四階のオカルト本だらけの古本屋の前や、二階のマンガ専門書店の横を通り過ぎる。三階はフィギュア専門店(ミニチュアのプラスチック塑像。実在・架空の様々なキャラクターを象ったもの。数百万以上の種類があり、希少価値のある物は高値で売買される)が多い。おびただしい数のフィギュアがガラスケースに並ぶ様は異様な眺めだ。まるで修学旅行で見た、京都の三十三間堂の無数の仏像のようだ。千体以上もの仏像の顔つきはそれぞれ違ってい、一体一体注目すると、必ず死に別れた知人に会える、と当時の引率教師が言っていた。前年に亡くなった祖母や事故死したクラスメイトなど、キリオと夢中になって死者の顔をさがし、堂内を歩いたことを思い出す。そんな風に取りとめもなく、心を空にして歩く。そのうちに気が付くと数メートル先に、懐かしいキリオの広い背中がひらりと現れるのだ。私は小走りに走り寄り、いつものように冷えきった彼の左手をつかむ。
ブロードウェイの一階の入り口を入ってすぐのところでキリオを見つける日もあれば、三階の印刷屋の前や、婦人服店の裏手で見つけることもある。キリオと会うために雨の降る夜は必ず、用がなくともブロードウェイに立ち寄るようになった。雨が降らず、乾燥した天気が続くと気持ちまでパサつき、雨を心待ちにするあまりイライラするようにもなってしまった。



あの日、青ざめた頬のキリオと再会してから、いつの間にか八ヶ月が経っていた。



「そのこと」を思いついたのは、突然だった。晴れの日が続きキリオと会えない日々がもう三週間になろうとしていた。
イライラしているところへ、仕事で部下のミスの尻拭いをさせられた。その処理が終わり深夜に帰宅すると、恒夫がリビングでうたた寝をしていた。
テーブルには空になったビール缶や飲みかけのチューハイと汚れた皿。キッチンのシンクには鍋や皿、ざるやフォークなどが、洗わないままめちゃくちゃに投げ入れられていた。どうやら慣れない料理を作り、酔いつぶれて寝てしまったらしい。消し忘れのテレビからはナイトニュースの天気予報が流れている。

女性の気象予報士が当分乾燥した冬晴れが続くと告げた瞬間、私は唐突に「そのこと」を思いつき、同時に恒夫と別れよう、と決心をした。
翌日から、恒夫とはいつも通りの会話を変わらない表情で交わし、別れを切り出すタイミングを計るようになった。
「そのこと」とはキリオの住むところへ連れて行ってもらうこと、だった。

一度思いついてしまうと、そのことを早くキリオにも伝えたくてたまらなかった。
大陸からの湿った空気のため、夕方から天気が急に不安定になり、ところにより雷雨になる、と語る天気予報に胸が高鳴った。仕事が終わり外に出ると激しい雨だった。そのまま傘をささずに、濡れながら真っ直ぐブロードウェイへと急ぐ。
難なくキリオに会えた。
「あのさ、キリオの住んでるとこに、一緒に連れて行ってくれない、かな。」
キリオは歩みを止める。
「戻ってこられなくてもいいから、さ。」
本心だった。恒夫との暮らしも、これからの生活への不安も全て捨ててしまいたかった。リセットしたかった。例え死者でもキリオとならやりなおせる、と思った。
いつものように視線を合わせてくれないまま、私の言葉にキリオは片頬を上げ、唇だけで笑った。今までに初めて見る表情だった。
次の雨の降る夜に必ずここで、と約束をし、その晩は別れた。
キリオの住む「くに」へ行くことを心に決めてから、妙に恒夫が優しくなった。
不思議だった。悟られていないはずなのだが、恒夫は家事を手伝うようになり、優しい言葉をかけてくれるようになった。
しかしもう遅い。私の決心は変わらなかった。
ほどなく朝から雨の降る日を迎えた。
底冷えのするような氷雨の中、私は一人心を躍らせた。
仕事を終え、はやる心を抑えて髪を切りにいつもの美容室に立ち寄る。
思い切って短めをオーダーする。
若返ったみたいだ、という美容師の世辞に、舞い上がった気持ちを隠して無表情を通すのは大変だった。十代のままのキリオと駆け落ちをするのだ。少しでも釣り合いを取ろうと願う一心からだった。



冷たい雨の中ブロードウェイへ着くとすぐに、ゆらり、と広くて薄い背中を見せてキリオは現れた。
左手をすぐにつなぐ。
今日はキリオも強く握り返してくる。うれしさがこみあげたが、せっかくセットしてもらった髪が風でなぶられ崩れてしまうのが少し気にかかる。
キリオはそんな私に気が付かないようで、いつもより早い足取りでずんずんと、ブロードウェイの奥へ奥へと私の手を強くつかんだまま進んでゆく。
いつもよりブロードウェイの天井が高くなっているように感じる。かなりのスピードで歩いてきたので、そろそろ北側の壁に突き当たるはずだった。おかしいと思いふと前を見ると、四階の舗道の先がかなり先まで続いているのがわかった。合わせ鏡の奥のように突き当たりが見えない。ゾクリと背中に冷たいものが走る。いくら目を細めてみても、みるみる両側の店の飾りつけや看板がモ
ノクロになっていき、色彩が急速に失われていく。
キリオが掴んだ手が冷たく強くさらに私を引き、足がもつれそうになる。さっきまで心地よかったはずなのに、いつの間にか頬に受ける風が冷たく変わり、 匂いも音楽も私からどんどん遠ざかっていく。
不安になってキリオを見る。しかしキリオは振り返りはしない。
「キリオ、ちょっと待って。」
キリオの手を反対に私へとグイと引っ張る。しかしキリオの強い手の力に、体ごと前へとまたさらに進んでしまう。
ここはいつものブロードウェイではないようだ。明らかに違う。完全に目に映るもの全てがモノクロになり、いつしか温度が下がり吐く息が白くなっている。音も全く聞こえない。死んでしまう、ということはこういうことかもしれない、と思った。
「痛いよ。」
私の言葉を無視して強い力でキリオはどんどん進んでいく。
私は声をかけることをあきらめ、キリオを正面から体ごと止めようと試みる。
追い越してキリオと向かい合う。キリオの顔の正面に向かうのは、ブロードウェイで再会して初めてのことだった。
ふと視線を上げる。その瞬間私は驚きのあまり動けなくなった。





キリオの眼窩にはポッカリと穴があいていた。
そこには眼球がなかった。
本来あるべきところには、奥底の知れぬ穴が二つ、黒々と開いていた。
私は思わず叫び声を上げていた。
声の限りいくら叫んでも、周囲の客や店員は誰も駆け寄るどころか、私を見ようとさえしない。
手を振りほどこうとするが、決してキリオは指の力をゆるめない。
底の無い、この世の場所ではないどこかへ、私はこのまま連れて行かれてしまう。
再会した懐かしい初恋の相手は、やはり亡者だったのだと、今さらに気が付く。亡者の「くに」へ行くことを自ら望んだ自分自身の愚かさを恨んだ。
私の右手首を離さないキリオは、色を失ったこの場所よりもさらに暗くくすんだ闇の、奥へ奥へと私を引いていく。
「恒夫……。」
私はあまりの恐怖に、無意識のうちに彼の名をつぶやいていた。
キリオが突然立ち止まる。
キリオの広くて薄い背中に私の頬がぶつかり、止まる。
私の「恒夫」というつぶやきがキリオに聞えてしまったようだ。
長い長い沈黙のあと、大きな笑い声が聞こえてきた。耳を疑った。
キリオが笑っていた。地の底から響いてくるような、大きく恐ろしい、そしてかすかに悲しい笑い声だった。
笑い声は長く続いた。私はじっとキリオの背中を見つめ続けた。
ゆっくりとキリオの指の力がゆるみ、手が離れた。
驚く間もなく、後ろからぽんと肩を叩かれた。
振り向くと恒夫が立っていた。
「やっぱりここかと思った。」
そういって私に笑いかけた。手には傘を持っている。
正面に顔を戻すと、キリオの姿はなかった。
ブロードウェイの四階のフロアは、いつの間にか色と音と温度を取り戻し、どこかの定食屋から、揚げたコロッケの香りがゆるやかに漂ってくる。いつもと変わらない四階の風景だった。北側の突き当たりもちゃんと見える。
呆然としている私の肩を、恒夫は優しく押しながら、二人でブロードウェイを出る。
冷たい雨はいつしか小雪に変わっていた。
「雪になったから、迎えにきた。髪、切ったよね?」
小雪が舞う風に切りたての髪がなぶられる。遠慮がちに恒夫の持ってきた傘を開く。恒夫に向かって笑顔を作ったが、ぎこちない。
あのままキリオに付いて行ったなら、どうなっていただろうか。一緒に行ったら、ブロードウェイ三階のガラスケースに並ぶフィギュアの一つになっていたかもしれない。フィギュアの陳列された三階は、もしかしたら三十三間堂のような場所なのかもしれない。
恒夫とこのまま傘をさし帰宅すれば、これまでと変わらない、いつもの暮らしがまた明日から始まるのだ。
おだやかで安全な日々。
恒夫はこれからも時折優しくなったり、冷たくなったりを繰り返すだろう。私もきっと恒夫を愛したり、うとましく思うことを繰り返す。
そうして生きていくのだ。もしかしたらこの世のみんなが、そうなのではないか。
キリオに強く握られた右手首をさすりながら、傘をさす。

恒夫の視線を気にしながら、ブロードウェイの雑踏を振り返る。キリオのあの広くて薄い愛しい背中を、もう一度だけ、探した。


(さかしま)

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*1:昭和四十一年十一月オープンのショッピングモール。中野区中野五丁目、新井交差点近く。日用品から食料・衣類雑貨など、取り扱いの品数と種類は多種多様を極める。平成不況のため一時はテナントの撤退や閉店が相次いだが、近年はアンティーク時計専門店やフィギュア販売店など、客層を絞り込んだ出店が増え、不況前の集客数を戻しつつある。2005年はオープン四十周年イベントが控えている。上層階の住居部分には、以前青島幸男前都知事がかつて居住し、在任中はここから都庁へと出勤していた。