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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

きらきら光れば…『剣と寒紅』

きらきら光れば…福島次郎著『剣と寒紅』

三島由紀夫―剣と寒紅

三島由紀夫―剣と寒紅

曠野(こうや)の孤独:アウトサイダーとしての同性愛

現在からもう50年程も昔に20代であった69歳のこの老人と、今の私とのあいだにどのような関係があるというのか?
「私は裏の世界でひっそりと生きてきたのだから、皆さんどうか私のことは、放っておいてください」


福島次郎はこう私に語りかけているような気がする。
また、こう言われているような気もする。


「本を読んでくださった『一般人』の皆さん、基本的に本の内容はいっさい忘れてしまっても構いませんよ」

しかし、私は福島次郎を忘れてしまうことができない。皆さんも、同じだろうと思う。

作家の三島由紀夫に愛された体験をつづった『三島由紀夫――剣と寒紅』は、文中に引用した三島の書簡が著作権法違反にあたるとして遺族が訴えたために回収されるという事件にも発展し、同性愛者としての福島次郎を世間に「カムアウト」することとなった。

「それまでは文学仲間にしか知られていなかったホモセクシュアル のことが一般の人にも知られてしまって、ひどく孤独になりました。曠野の中にたったひとりでたっているようで……」(『ダ・ヴィンチ』誌1999年1月号、46)

福島氏は、この告白が引き起こした状況の中での心境をインタヴューでこのように語っている。

ここで注目すべきは、彼にとって、同性愛者としての「カミングアウト」が「たった一人」であるという孤独感を確認し、強める機能しか持っていないという点であろう。

少なくとも私にとってのカムアウトは、「私が一人でない」ということを多少は感じさせてくれるという効果もあるものなのだが……。



晩年にさしかかった福島氏の人生の結論は、「曠野の孤独」であった。
これは、自分は曠野=自然からは疎外されているのだから、アウトサイダーとして生きようという意識であろう。

同じインタヴューで、「最近はカミングアウトするゲイも増え、普通に人生を生きようという動きもでてきているようですが」という質問に対しては、

「そういう方もいるでしょうが、私はやはりホモセクシュアルってやはり陰だと思うんです。正統な人生じゃない。だからこそ自分の人生があるのであって、他人に認められたからどうこうではないんですね」


では、陰であり、認められる必要などない同性愛をどうして福島氏は作品を通して告白するに至ったのか?


「同性愛が正統の人生じゃないからこそ、自分の人生がある」と氏自身も言っているように、彼は、自然に反したものとしての自分を、自然の立場にある社会から認めてもらう必要があったのではないだろうか?


私たちは、「私は異常です、どうかこの事実を承認してください」と社会に懇願するためにカムアウトをするのではなく、むしろその正常/異常の枠組みをずらすためにそれを行うのである。

この点で、氏の告白とカムアウトは違っている。
社会の裏でひっそり生きる自分を、本のなかでおおっぴらに書くことで、「私のことはそっとしておいてくれ、本の内容は忘れてもいいよ」と遠回しに読者に伝えているようなポーズを取りながら、実は自分が異端であることを読者から承認してもらうことを前提としている福島氏の告白は、自分がアウトサイダーであることを「美学」にするための福島氏の必然の手続きであったようにすら私は感じる。


昭和20〜30年代の同性愛者がおかれていた状況は、氏の著書に詳しいが、同性愛者としてまっとうに生きる選択肢がほとんどない当時の状況で、ぼろぼろで哀しい人生だけれど美しいよね、と自分の人生を美学化するのは彼らが自分の生を意味あるものとするうえで必要だったことなのかもしれない。

ともあれ、自分が同性愛者であるという氏の告白の結果、彼は「曠野にたった一人でたっているような孤独を感じている」のだが、ここに、「曠野=自然、あるいは、一般社会/自然から疎外されている自分=自然に反した存在」という構図を読み取ることができると思う。

そして福島氏の人生は、自身が生まれた壊れている家庭や、「ホモの人々」、都会などの自然でないものから、自然――普通の家庭であったり、少年たちの無垢さであったり、山奥の風景であったり――への逃走の繰り返しである。

例えば「人間の乗り合い船のような」錯綜し機能不全の家庭から、三島家という「王国」への逃走。自分の父親が不明確な私生児として育った福島氏は、成人してゆくあたりから、自分の家庭に絶望していく。

そして、熊本へは二度と帰るまいと決意して東京の大学に入学する。
東京で三島家に足繁く通うことになった福島氏は、三島の両親を、社会的にも人間的にも立派な父親と母親についていけたらどんなによいかと慕い、三島家を「家庭的な幸福に充ち満ちている家」、「夢の王国」などと羨望するようになる。


このとき、自分が生まれ育った「不自然な」家庭に背を向け、世間的にも一般的で普通な三島家に対して憧れを持った福島氏の心の動きは、自然に反したものから自然なものへの逃避と考えることができるだろう。

ナメクジ

福島氏は、「自然でない」ものに背を向けて「自然なもの」に救いを求めつつ、「自然でない」自分を受けいれて、その立場から、そのぼろぼろで哀しいゆえに美しい人生を作品に書いてきた。


冒頭にも引用したインタヴューで、福島氏は、ホモセクシュアルは、正統な人生ではなく、やはり陰であり、正統な人生ではないからこそ自分の人生がある、という先程の考えを表明した後、彼の人生観を考えるうえで象徴的な比喩を出してきた。


それは、自分の人生をナメクジの歩みと重ね合わせるようなものであった。
 

私の人生はナメクジが歩いたようにきらきらとあとがついている。幸福になんかならなくても、その残った部分が幸福なのではないかと最近は思うようになりました。(『ダ・ヴィンチ』誌、46)


最後にここに、この発言の問題となると私が思う3つのポイントを挙げてこの記事を終わらせたい。

  • ポイント1―自分のことをナメクジだと思っていること。

そして、上と少し矛盾するかもしれないが……

  • ポイント2―ナメクジである自分を人間の視点(正常とされている視点)から見下ろしている点(キラキラときれいだと思うのは人間だけであって、ナメクジは自分が通った跡のキラキラなど眺めることはないし、きれいだと感動もしないだろう)

さらに、上と少し矛盾するかもしれないが……

  • ポイント3―人間の眼からみたナメクジの世界よりも、ナメクジの視線から見えるかもしれないナメクジの世界の方が、あるいは彼にとってもっと美しいかもしれない、という可能性に気づいていない点。(Arashi)


記事は、1999年に私(Arashi)が『QM』誌の前身の『QJ』誌(当時刊行されていた同名の商業誌とは、関係はないです。念のため)に、
福島次郎著『三島由紀夫――剣と寒紅』 ついて投稿した記事です。明日は、この文章について、8年後の今の感想なんか書いてみようかと思います。


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