リターン・トゥ・マイ・セルフ?
初詣の度に、そのときだけ信心深くなって、すがる思いで「今年こそは、幸せになりたい…」とお願いしていた。
その思いは、あまりにも沈痛だったはずなのに、「自殺するのは嫌だから、このまま夕日に溶けてしまってこの世からいなくなってしまいたい」。そんなことを、思っていたな、という事実だけが、抜け殻のように記憶に残っていて、そのときの気持ちの中身がどんなものだったのか、今となっては追体験することはできない。
中学生の頃、とうに自分がゲイである、ということはわかっていて、何もかも押し殺していたときの気分だ。当時、自分がゲイであること、そしていろいろな本当の気持ちを誰にも話すことができないでいた。
こんなことを思い出すことは、とってもベタベタして感傷的なものになりそうだし、「弱かった」ことを認めることで、「弱さ」だけならよいのだが、「まわりのクズどもとは違う」という傲慢さなんかも出てきてしまう。性格は歪んでいて、そして、未来に対して後ろ向きだった。
認めたくないけど、それが私の原点だ。
その後、いくつか幸運な出会いがあり、他のゲイと出会ったり、一通りの経験をするチャンスをもらううちに、誰かにゲイであることや、ゲイであることのいろいろな経験を話すようにもなった。そして、いつしかゲイであるということが、当たり前のことになった。
けれども、今でも「初めて自分以外の同性愛者と出会った」というレズビアンやゲイに出会うことがある。
「他の同性愛者の経験を聞くことで、自分自身の忘れていた感情を思い出す。いつのまにか、そんな感情が思い出されていたのだ。こうしたことは、初めてのことだった」
こうしたことは、ほんの10数年前の私にとっても、「初めてのことだった」。
同性愛者が、他のレズビアン、ゲイとさまざまな経験を話していくこと、聴くこと、そしてその場について。それらが、今回の『QM』特集のテーマです。明日からこの『ライフヒストリー』というテーマについて、私感を交えつつ、紹介していこうと思います。