QMblog's blog

レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

虹色の空を見上げて〜神保亜希子さん

神保亜希子さんによる、

「東京レズビアン・ゲイパレード」 体験記です。

「レズビアンに生まれて、よかった〜?」

「よかった〜!!」

私は、レイン ボーカラーの一色の大きな黄色い旗を手に、土砂降りの雷雨が上がったばかり の渋谷の街を歩きながら、アカーの仲間たちと、そう叫んでいました。


無数の レインボーの旗や横断幕。沿道やビルの窓から手を振ってくれる多くの人たち。


もちろん、それらは鮮やかに視界のどこかに常にありました。でも、歩いている間ずっと私は、黄色の旗を片手で上に高く挙げて、空を見上げていました。雨上がりの空に、虹が架かっているのではないかと、探していたのかもしれないですね。残念ながら、雨上がりの虹は、現われませんでしたが。見上げた空の色は、確かに虹色(レインボー)だったような・・・。


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「東京レズビアンゲイパレード」に初参加することの意味を、前日までずっと考えていたのですが、その結論はというと。


まずは参加してから考えようという、いたってシンプルなもの。そして、せっかくの初参加だからという、これまた、単純な理由で、「歩く」という方法で参加することに。



パレードに報道陣の撮影が入ることは、知っていましたが、家族や知人、職場の同僚に見られたらどうしよう、といった不安や緊張感は、全くありませんでした。私には、カミングアウトの経験は、一度もないのですが・・・。そう言うと、妙に、いさぎよく聞こえるかもしれませんね。でもそれは、私が特別に精神的にタフであるということでは、全然ないのです。



身近な人々に、レズビアンゲイパレードに参加しているのを見られたら・・・、という不安や緊張感。それは、それら周囲の人たちとの、良好な関係があるからこそ生まれるものではないかと思うのです。つまり、自分が同性愛者であることを身近な人々が知ったら、現在の良好な関係が壊れるのではないか、という不安や緊張感。



そう考えると、悲しいことに、壊れて困るような人間関係など、私には、もともと、ないのです。家族との関係は、私が同性愛者であるという事実とは全く無関係な理由で、何十年も前から壊れたまま。それに、 真に友人と呼べるような人も、私にはいません。その理由は、私が同性愛者であるという事実と半ば関係があり、半ば関係がない、といったところでしょうか。


職場の人たちとの関係はというと。これは、もともと、どうでもよいと思ってきたので、どうでもよい関係でしかありません。そんなわけで、パレードに参加しているのを、誰に見られたところで、私には、今以上に失うものなど、何もないのです。


では今回のパレード参加が、私にとってどんな意味があったのか?


それは、これから新しい人間関係の座標軸を築いていく、という決意表明だったのかな、と思うのです。



アカーの事務所を初めて訪ねたのが昨年の9月。そのときに初めて自分以外の同性愛者に出会いました。「自分」というたった一本の座標軸の上を生きてきた私の人生に、アカーと出会って初めて、「自分以外の同性愛者」という座標軸が加わったのです。


そして、今回のパレード参加で、「同性愛者として社会とどう向き合うか」という座標軸を、
私は築き始めたのではないか、と。



「自分」、「自分以外の同性愛者」そして「社会」という3本の座標軸の作る空間の中で、
私はこれから、同性愛者として生きていくのですね。




今はグラグラして、実に頼りない座標軸。



そして、これら3本の座標軸の作る空間で、自分はどんな位置関係をとっていくべきか、日々試行錯誤ではありますが。



それでも、これらの座標軸は、これまでの人生とは違って、生まれて初めて私が自ら望んで築き始めたものなのです。


ですから、これからの人生に何があっても、そこから逃げるつもりはありません。


今回のパレード参加は、そんな私の決意表明だったのかなと、あの時見上げた虹色の空を頭に描きながら、思うのです。

(神保亜希子)