QMblog's blog

レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

 カナダで異性愛者が同性婚


カナダで同性婚を利用して異性愛者の男性同士が婚姻届? 
税金などの優遇措置を受けたかったということだが、これって偽装結婚? 
それとも結婚ってその程度のもの??
Yanagihashiさんによる投稿です。

【もしもクローゼットなら】

ある同性愛者の感想「実はクローゼットなんじゃない?」。だとすると、カナダが同性愛者に寛容というのは意外と問題ありなのかも(外面がいいだけなんだもん・・・ある被差別者ののつぶやき)。


別の同性愛者の感想「男女で結婚すればいいだけなのに。女はもう男なんか相手にしないってことかな?」。だとすると、カナダは女性の自立と社会進出の大先進国なのかも。だって、結婚による経済的メリットよりも個人生活を充実させるだけの経済的裏付けもあるってことでしょ(その男たちが端にもてなかっただけでしょ、勝手なこと言わないで・・・ある被差別者の声)。


また別の同性愛者の感想「こうしてみるとPACS(フランスの同居者の権利義務を定めた法律)ってかなりラディカルな法律だったんだね」。そうすると、愛情と信頼に支えられた夫婦(あるいは家族)というのは幻想(現在その幻想の支え手こそ同性愛者なのだ・・・ある被差別者の皮肉)ということで、法律上の優遇措置はすべてやめるべきか(極端)、あるいは、名もなき新しい人間関係を構築している最中の試行錯誤と考えるべきか(インテリの言葉遊び)、特殊な扶養共同体として再構成すべきなのか(分かったような分からないような)。


更に別の同性愛者の感想「うちらが養子縁組するようなものだよね」。そこにいっちゃいますかね・・・。

【もしもピアノが弾けたらなら】

結局、制度や社会のゆがみは、弱いところにより強く表れるということでしょうか。

少し前に、イギリスの海岸で記憶喪失になって(を装って?)放浪していたピアノ・マンが話題になったことがありました。彼は、実は、ピアノは弾けず、同性愛者でドイツの田舎町の出身だったとか。

詳しい事情は分かりませんが、クロゼットであることを強いられる故郷から逃げ出してきていたかもしれない彼が、もしもピアノが弾けたなら、ほんの一時期であっても、社会の注目を集めたピアニストとして「いい目」を見られたかも知れませんが、現実には、数奇な運命をたどることができる強運の持ち主はそうはいないということです。


同性愛者に対する美しき誤解(転倒した蔑視)である、芸術的才能があるとか、繊細な感性があるとか、美男・美女が多いとか、英雄(的)だから色を好むとか、カリスマ性があるとか(そこまでは言われてない?)、というようなことは、そういう人もいるということにすぎず、そうじゃない人たちも当たり前に存在しているわけです。


結婚制度を必要としている人たちにとって、それがセイフティ・ネットの役割を果たせるなら、そして、その網が、これまでのものよりよい機能を果たすことができるならば、いつでも、いくらでもその網を張り替えることは必要なことなのです。

(Yanagihashi)