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レズビアン&ゲイライフをサポートするNPO法人アカーのWEBマガジン。編集部:「ふじべ・あらし」がお伝えしています。

尾辻かな子さんがレズビアンであることをカミングアウト

大阪府議会議員の尾辻かな子さんが、レズビアンであることをカミングアウトしました。日本では初めてのオープン・レズビアン議員の誕生です。このカミングアウトは、忘れられている同性愛者政策の進展にどのような影響をもつのでしょうか? QMのメディアチャックコーナー「うの目」へYanagihashiさんの投稿です。

いいんじゃない、どうでも…

性同一性障害の当事者である議員のカミングアウトは前例がありましたが、同性愛者の現職議員のカミングアウトは日本では初めてです。まずは、その決断に敬意を表すとともに、今後の尾辻議員の活動に注目していきたいと思います。

さて、尾辻議員のカミングアウトに対する反応の中で一番多いのが、「いいんじゃない」というものだという話があります。これには、あえて言葉にしない「どうでも」という語がついているように思うのですが、それは、同性愛/同性愛者の存在やそれに関わる問題が、ワン・テーマ、ワン・フレーズで人々の気分を揺さぶるほどの問題にはなっていないということの表れでもあるのでしょう。だから、同性愛者は、もっと問題を明らかにしていくためにがんばりましょうというのが、今回のウノ目の主眼ではありません。

想像力をはたらかせよう

では、何が問題かというと、想像力をはたらかせましょう、ということを言いたいのです。大雑把な言い方をする、当事者問題というのは、その人たちだけの問題であり、一般の人には関係がない問題のように捉えられがちです。それに対して、「そんなことはありません。皆の問題です。」と言ってみたところで、興味を持っていない人たちにはほとんど効果はありません。当事者意識がないので、想像力が働かないからです。この問題は、同性愛者自身にも関わってきます。同性婚やエイズ問題についても、自分には関係がないから、という立場をとれば、「いいんじゃない、どうでも。」という反応にすぐなってしまいます。カミングアウトが、新しい人間関係の作り直しという(本来の)効果をなかなか発揮しない(秘密の暴露のように誤解される)のも、想像力の欠如ないしは想像力のはたらき方の齟齬によるところも大きいのではないでしょうか。

そのような状態が続くと、当事者意識のある側は、疲れてしまい、投げやりになったり、相手を非難して溜飲を下げるというような事態も生じやすくなります。そうしたことになれば、自体は非当事者の思う壺ということになってしまいます。それを避けるためには、まず、自分は一人ではないという想像力をはたらかせること、そして、同性愛者には希望と未来があるという想像力をはたらかせることから始めましょう。尾辻議員のカミングアウトはそんな想像力のきっかけになりえるものだと思います。

疲れてはいけない、同性愛者たち。

(Yanagihashi)