LGBTのホームレス・ユースをサポートしているスティーブンさんへのインタビュー
LGBTのホームレス・ユースをサポートしているスティーブンさんへのインタビュー
レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)のホームレスユースを対象にシェルターやプログラムを提供しているアリ・フォーニー・センター。職員のスティーブンさんへ、仕事について、ホームレスの現状についてお話うかがいました。
【アリ・フォーニー・センター施設内の様子についてはこちら】(2008年12月24日、同行者:岩本、藤部)
◆スティーブンさんへのインタビュー
- Q:「NYのホームレス・ユースは、自分の力でここ(ドロップインセンター)をみつけて、自分の足でここにやってくるのでしょうか? それとも、こちらから助けが必要なユースをストリートに探しに行くのでしょうか?」
- A:「両方の場合があるけれど、既にここにやってきているユースが、他のユースを連れてくる、というのが一番多いかな。もちろん、スタッフがアウトリーチを行って、連れてくることもある」
- Q:「アウトリーチを行うとき、子どもたちから警戒される、ということはあるのでしょうか?」
- A:「『邪魔しないでくれ、放っておいてくれ』という態度をされることはよくある。けれど、コンドームを渡したりすると、子どもたちは喜んで受け取ってくれる。ニューヨークでは、コンドームはお金を出して買わないといけないものだし、身体を売っていることが多い彼らにとっては、必需品だから。なにより、最初は警戒されても、何回もアウトリーチしにいくことが重要なんだ。またアウトリーチを行うスタッフは、“ヒップ”でないといけない。つまり、音楽、テレビ番組、服装など、子供たちから親近感や尊敬を得るような知識や格好、態度がアウトリーチを行うスタッフには必要なんだ」
- A:「ニューヨークでも同じだ。」
ドロップインセンター周辺の路上。センターの名前になっている、Ali Forneyとは、実際に1990年代を路上で過ごしたホームレス・ユースの名前からとられています。Ali Forneyは、その後、LGBTホームレス・ユースのサポート活動を開始しますが、1997年、Ali Forneyは何者かによってストリートで殺害されてしまいます。彼を殺したものは現在でもまだ特定されていないそうです。Ali Forneyの死は、NYのLGBTユースの厳しい現状を如実に表しているのかもしれません。
- Q:「1回のアウトリーチで、何人のスタッフが行っていますか?」
- A:「4人一組でチームになってアウトリーチをすることが多い。アウトリーチを行うストリートに到着したら、バラバラに分散して動くようにしている。お前はここのエリア、オレはこっち、といろいろと分担、手分けできるからね。またストリートのユースは、グループでたむろしていることが多いから、その人数に合わせてアウトリーチする人数も決めるようにしている。もちろん、アウトリーチを行うスタッフの人数は、多ければ多いほどいい。でも、だいたい4人かな。」
- Q:「アリフォニーがサポートしているユースの年齢はどれくらいでしょうか?」
- A:「ここでは、16歳から24歳まで。13歳から22歳までアウトリーチしている、というところもあるよ」
- Q:「今、ここのドロップインセンターには何人のホームレス・ユースがいるのでしょうか?」
- A:「20名のユースがいる。中には、自分の家で、暮らしているユースもいるけど。センターの資金のほとんどは、彼らが暮らすための家賃で消えてしまうんだ」
◆スティーブンさん
気さくかつ、友好的にツアーとインタビューに答えてくれたスティーブンさんですが、見学のためにセンターに足を踏み入れた直後は、「門前払い」をくらうか、と思いました。スティーブンさんが、「ここに来た目的は?」、「ここの見学をするために、お金はもらっているのか?」など、矢継ぎ早に質問を投げかけてきたからです。それらの質問に私たちが答えて初めて、彼はインタビューのためのスタッフルームに私たちを通してくれたのでした。
またこちらからのどんな問題に対しても、スティーブンさんは、「日本、東京での状況はどうなの?」と私たちに多くの質問を投げかけてきました。私たちが、こんなにも日本や東京の状況を質問されたのは、今回のNY視察で初めてのことでした。
◆東京での「家出」ユースの状況
例えば、インタビューの途中で「さっき、ネットでCNNのニュースをチェックしてたんだけど、日本も不景気になって、家のない人たちが増えているんだって? そうすると、レズビアン、ゲイのホームレス・ユースも増えているのかな?」と質問がありました。
日本では、一般のホームレスへのサポート自体がなかなか行き届いていない。その中で、さらに同性愛者のホームレス・ユースへのサポートを特化して行うのは、まだとても難しい。また、日本特有の現象として、完全に家がない状態のLGユースにアクセスするのは、なかなか難しい。多くの「家出」したLGのユースたちは、「漫画喫茶」や友達の家を泊まってまわっていたり、「夏の間だけ」といった期間限定で、東京近郊の都市から東京に出てきて、売春し、その間ホテル暮らしをして、そして帰っていく、というユースもいる。現在、私たちが実施しようとしているのは、そういった「家出」ユースたちのまずは状況を把握して、そこから具体的にどのようにホームレスユースへのサポートをしていくかということ。言ってみると、「準備段階の前の調査の段階」。だから、アリ・フォーニーを訪問できて、本当に参考になった。ということをスティーブンさんに伝えました。
スティーブンさんは、「他に聞きたいことがあれば、いつでもサポートするよ。必要なときは、何でも言ってくれ」と答えてくれました。また日本では、「LGBTユースのことでは、助成金が出ない」と言うと、具体的な国際助成団体の名前を挙げて「ここはどうか? ここもだめか?」とかなり具体的なアドバイスをしてくれた。
スティーブンさんに再度、Ali Forney Centerに来たかった理由と、そして突然にも関わらず大変よく案内してくれ、話しをしてくれたことの御礼を伝え、写真をとって終了しました。
◆Ali Forney Centerの視察を終えて
Ali Forney Centerは今回訪問したどのユースセンターより汚かったし、そして、一番、あわただしかった。また、事前のメール&電話でのアポ取りの段階で「忙しいから」と訪問を断られた唯一の団体でした。けれども、現地についてからの(ドロップインセンターでない)事務所の方へ突撃訪問してのアポトリということを行った結果、非常に友好的に対応してくれたのもAli Forney Centerでした。
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LGBTのホームレス・ユースをサポートする施設
NYCでLGBTのホームレス・ユースをサポートするアリ・フォーニー・センター
クリスマスイブの日の夕方、私たちは、最後の視察先としてアリ・フォーニーセンターAli Forney Centerのドロップインセンターを訪問しました。ニューヨークのLGBTのホームレスユースをサポートしている施設です。そこは、それまで私たちがNYで見てきた「このビル全体が、私たちが仕事をしているビルです」といった大規模なグループとは違って、他の会社もテナントで入って、使用しているようなビルの1階の一室でした。大きさはアカーの事務所くらいの大きさ。
LGBTのホームレス・ユースの問題
ますます多くのレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)が目に見えるようになってきている米国社会でも、家族から拒絶されて、路上でホームレスにならざるをえないLGBTの10代も少なくありません。LGBTのホームレス・ユースは、異性愛者のホームレス・ユースに比べて、ストリートやシェルター施設内での暴力のターゲットになりやすく、彼らの多くは、精神疾患やトラウマ、飲酒やドラッグ、HIV感染の問題を抱えているといいます。Ali Forney Centerでは、2002年からNY市のそんなLGBTのホームレス・ユースのためにシェルターを提供しています。
受付
まず、入ってすぐに受付があり、そこは、ごっちゃごっちゃしていながらも、スタッフはみな忙しいそうにしていました。同時に、ユースのセンター特有の「楽しそうな」雰囲気がありました。
医務室
受付の奥は、医務室になっていました。
路上で怪我をすることの多いユースのために、簡単な応急処置ができるほか、HIVの検査も受けられるスペースになっていました。
そこは他の部屋より遥かに綺麗でした。スティーブンさんも「この部屋は落ち着いて、安心できるようなレイアウトにしてある」とのこと。
多目的スペース
写真には、とっていないのですが、廊下の突き当たりの一番広い部屋が、ユースたちが、朝・昼・晩の食事をとったり、寝たりする多目的スペースにもなっているとのことでした。当日、その部屋には、2人の少女がいました。身体じゅうの精気を吸い取られたように、椅子にもたれて、寝ているのでも、起きているのでもないような状態で、“ただそこに存在しているだけ”という感じでした。もしかしたら、単にその時、眠かっただけなのしれません。けれども、他のユースが、廊下や受付前のスペースで、元気にうろうろしているのと比べて、あまりもの違いには、やはり驚きました。
慈善事業の服
その隣の部屋では黒いビニール袋が山積みになっていました。子どもたちが、そのビニール袋から洋服などを出して選んでいました。
スティーブンさんによると、その衣類は慈善事業として集められたもので、本当は他のところに届けられる予定だったが、Ali Forney Centerへの寄付として廻ってきたものだ、とのことでした。次回では、アリフォニー・センターのスタッフのスティーブンさんへのインタビューを掲載予定です【こちら】。
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LGBTのためのクリニック
カレン-ロード・コミュニティ・センター
ニューヨークのレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーコミュニティを対象として、医療費の支払い能力に関係なく、LGBTのクライアントに医療サービスを提供しているクリニックCallen-Lorde Community Health Center。2008年12月22日に訪問しました。カレン=ロードの歴史
カレン=ロードの歴史は、1960年代後半〜70年代初め、“Saint Mark’s Clinic”と“Gay Men’s Health Project”という2つのボランティア・ベースのクリニックが活動していたことにさかのぼるそうです。60年代、70年代の当時から、ゲイのクライアントが多かったといいます。2つのクリニックは、彼らのために、主に性病についてのサポートを行っていたそうです。
1983年、ニューヨークに、LGBTのための病院がなかったため、「コミュニティ・ヘルス・プロジェクト」というものを立ち上げて、2つのクリニックは合併しました。
1998年から、名前を“Callen-Lorde Community Health Center”として、主にLGBTのHIV感染者と保険がない人のためにプログラムを行っているそうです。当初のクライアントの、男女比は、6がゲイ、4がレズビアンだったそうです。
現在のカレン-ロード
運営は1億円規模とのことでした。宣伝広報活動も、そんな積極的には行っておらず「口コミ」がメイン。
現在のクライアントは、保険がない人と、トランスジェンダー、そして女性の利用が70%とのことでした。
主にゲイが、利用者の大半を占めていた時代から、
その後の利用者の重点が女性やトランスジェンダーに移行していったことは感慨深いと思いました。歯科など医療設備
ビルの1フロアーごとに、「歯科」や「検査」、「カウンセリング」(メンタルヘルス)、「LGBT専門のフロアー」、「ユース専門のフロアー」など分かれていました。
専属の医師も数名いる、とのことです。
歯科がかなり充実していました。
理由は、HIV感染者が安心して通える歯科がなかったため、
新たに歯科を設立したからとのことでした。
カレン-ロードで、HIVの検査を行うときは、
血液検査(腕&指から採血)を実施していて、
唾液の検査は、偽陽性の率が高く、信頼性が低いため、
行っていない、とのことでした。
基本的には、かなり多くの病気の検査を受けることができるが、
市内に、提携している病院があるため、特に特定の検査が必要な患者は、
そこで検査を行うこともある、とのことでした。
カレン=ロードには、入院設備は備えていないそうです。
入院が必要な患者は、NY市の他の病院で受け入れてもらっている、とのことでした。婦人科疾患については、もっと聞きたかった
個人的には、婦人科疾患やHIV以外のSTDについても伺いたかったのですが、
言語の問題もあって、あんまり突っ込んでは聞けなかったのが残念。。。
運営規模1億円で、ここまで広くカバーできているのはどうしてなんだろうと思いました。
全くの無料で医療を提供している訳でないためか、とも思うが。。。
感想
カレン-ロードは、NY市の他の病院や、
ドラッグのための団体やホームレス団体などとも提携しているようでした。
カレン=ロード単独で成り立っている事業は少ない印象を受けました。
日本での当事者NGOが、行政や病院などと提携していくことは、
大変だけれども重要なことではないか、と思いました。
(Mikako)
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ブロンクスのかもめ
ザ・ブロンクス
「わあ〜、かもめが飛んでいる」
地下鉄から地上に出て一番最初に叫んだ言葉がそれでした。
ブルックリンより、さらに白人を路上に見かけなかったブロンクスは、マンハッタンより私が好きになった街です。
上野と横須賀の雰囲気を混ぜ合わせたかのような、その街の印象を一言で言えば「ごちゃごちゃしている」でした。
店先から路上にまではみ出して並べられた商品。
隣の肉屋からの生臭いにおいが充満する洋服店。
東京の下町育ちの私としては、ブルックリンは、すごく居心地の良い場所でした。
たぶん治安は良くないでしょう。
マンハッタンよりも観光できる場所は少ないかもしれません。
さらには、対岸のハーレムが再開発によって今では高級住宅街のようになったと聞きました。
川を挟んだブロンクスも、将来同じような道をたどるかもしれません。
けれども、古くからその町の良さというものは、それでも残る。
そんな気がしました。
日本もアメリカでも、とかく都心から近い近隣の街は見落とされがちです。
そんな街に住むレズビアン&ゲイに向けて提供できるようなプログラムとは何か?
地下鉄に乗って降り立って、たかだが2時間滞在しただけの私に、
そう考えさせてくれたあのブロンクスの街並みと、そしてカモメには、
本当にもう一度会いたいと思います。
(Mikako) マンハッタンの北東に位置する「ブロンクス地区」。
2008年12月23日(火)、私たちは、ブロンクス地区にあるLGBTのためのコミュニティセンター「ブロンクス・プライド・センター視察」のためにこの地を訪問しました。今日の「ニューヨークの街並み〜Streets of New York」は、そのときの印象をMikakoさんに書いていただきました。
ブロンクスは他に、ヒップホップ発祥の地として、そして、ヤンキースタジアムや動物園でも有名ですね。私は、学生時代に住んだ大田区の蒲田の雑踏を思い出したのですが、さてさてどうなのでしょうか?
■関連記事:
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ブルックリンの印象
ブルックリンの印象
ひとりのレズビアンが、生前に残した縁をたどって、その最期を看取ったパートナーに会いに行ったブルックリン。
印象を関東で言うなら千葉(東京寄り)や江戸川区などに似ている街並みかもしれません。
道に迷いながら、雪を踏みしめながら、訪ねる家までたどったその道のりで、たくさんの通行者とすれ違ったのに、白人をあまりみかけませんでした。
ブルックリンの道幅は広く、空も大きく見えて、そこが、どこか地方都市のようでもあり、それでいて駅付近には大型ビジョンが設置されていたり、都市化されている部分もありました。
クリスマス・バーゲン中の巨大なショッピングセンターには人の波。
対照的に、高級マンションが立ち、車が停まっているエリアはひっそりとしていて、人通りが少ない。
都市の治安の「善し悪し」は、どこも変わらないのかなと思いました。
高級なマンションだけでなく、ブロンクスには、可愛らしい、
それこそ海外ドラマに出てくるようなお家もありました。
クリスマスのデコレーション付きで♪(Mikako) <訪問日>:2008年12月20日(日) 14:00〜17:00
5番街へ行ったならば
5番街に行ったならば〜Streets of NYC「マンハッタン」
私たちが今回のニューヨーク視察で拠点としたのは、マンハッタンの歴史あるフラットアイアン地区に位置するホテルでした。歴史的建造物やショップやレストラン街が並ぶ、ニューヨークを満喫するには便利な5番街(5th Avenue)の周辺を紹介します。
●ガーシュイン・ホテル Gershwin Hotel
宿泊したガーシュイン・ホテル。ゲイの偉大なアーティスト「アンディーウォーホール」に敬意を表した(?)、お洒落でポップかつモダンなホテルでした。
毎晩、パブロ・ピカソに見守られながら夢を見ました。
話題のこんな人も。バラク・オバマ大統領。
●「フラットアイアン・ビル」のある5番街
ホテルがある5番街27丁目から、歩いてすぐのところに有名なフラットアイアン・ビルがありました。
この三角形をした不思議なこの建物。実はよく見ないと見落としてしまいがち、あまり目立たちせん。
日本で言うなら銀座の一角にあるビルという感じでした。
♪五番街へ行ったならば マリーの家へ行き/どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が/きっと住んでいると思う たずねて欲しい♪
という歌にあるように、5番街は、とても古い建物がある地区です。
(マリーには会えませんでしたが)
フラットアイアン・ビルも、1902年からそこにあるといいます。
●マディソン・スクエア・パーク
そしてフラットアイアンビルの手前に見える公園がマディソン・スクエア・パーク(Madison Square Park)です。犬を走りまわせることができる「ドックパーク」や「リスの家」があります。
最初、私たちは、てっきりそこに人間が住んでいるのかと思って驚愕しました。
しかし着いて早々、私たちの誤解を訂正する樹の上の“住人”を発見することができました。
12月下旬のかなり寒い時期だったのですが、元気に動き回る「リス」たち。
東京の地下鉄で線路内に「ねずみさん」を発見するのとはまた違った面白さがありました。
時差ボケで早朝に目覚めた、早朝のマディソン・スクエア・パーク
●クリスマス・イルミネーション
ホテル近くの通りから見えるタワー。後から地図を見ると、「メトロポリタン生命保険ビル」というビルでした。
12月24日のクリスマス・イブの日には、頂上部分の電飾が、黄色い光から、赤・緑というクリスマス色に変化しました。
クリスマス前夜の時間は、
街も店も人も「Happy Holiday!」の嵐です。
スーパーもデパートも人、人、人。
とにかく道にもレストランも人があふれていました。
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Streets of NYC
Streets of NY〜ニューヨーク市の街並み
ニューヨーク市には、マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、スタテン島という5つの区があります。今回の視察で結果的に私たちは、スタテン島以外のすべてに足を運ぶことになりました。それぞれの地区を歩きながら、「ここは東京で言えば、銀座か新宿か?など会話しながら歩いたのでした。視察先の様子だけでなく、ニューヨークのそれぞれの地区の印象なども紹介していこうと思います。
時間が止まった昼下がり〜NYのゲイ・ストリート“Christopher Street”
クリストファー・ストリート Christopher Street
<日時>:2008年12月20日他
<クリストファー・ストリート>
- ニューヨーク・マンハッタンのウェスト・ビレッジにあるゲイ・エリア
- 70年代からゲイ・ライツ・ムーブメントの中心地
- 多くのゲイバーやレズビアン・バーが軒を連ね、レインボーフラッグが掲げられている。プライド・パレードが行われるなど、現在でも、ゲイ・プライドのシンボルとされている
※ゲイ・リベレーション・ムーブメントが起こったとされる「ストーン・ウォール・イン」
●時間が止まった昼下がり〜
クリストファー・ストリートは、とても質素な通りだった。
2003年6月、プライド・パレードに参加するために、サンフランシスコを訪問したときに訪れたカストロ・ストリートのような場所をイメージしていたけれども、違っていた。何かが、全然違っていた。
レインボーグッズや同性愛に引っ掛けた文句が書かれたTシャツが売られているバラエティショップも、わりと下品だと思った。二丁目のバラエティショップとそんなに変わらない。そう思ったとき、私は新宿二丁目と変わるものを、クリストファー・ストリートに期待していたんだ、ということが分かった。
雪の土曜日の昼過ぎ、ドロドロに解け始めた雪に滑らないように気をつけながら、クリストファーストリートに行ってみた。ゲイポルノを売っているアダルトショップバラエティショップ、革製品を扱うSMショップ、タトゥー・ショップだけが営業していたその通りは、なんだか時が止まっているような気がした。時代の歩みから取り残されているような気がした。
だからって、サンフランシスコのカストロ・ストリートがそんなに素晴らしかったか?
そう質問されたら、「はい」とは言わない。
あの時、カストロが素晴らしい、と思ったのは、プライド・パレードというお祭りの時に訪問したからだと思うから。
きっとクリストファー・ストリートも、「ストーンウォール」を記念するイベントや、パレードの時期に行っていたら、あの道も全然違うものなんだろうと思う。
(Mikako)
※あの『SEX AND THE CITY』にも登場したおサレなSUSHI SAMBAなんかもありました。
ブロンクス地区の“かわいい”LGBTユースセンター
Bronx Community Pride Center(2008年12月23日訪問)
●ブロンクス地区のLGBTユースセンター
ニューヨーク・ブロンクス地区にあるブロンクス・コミュニティ・プライド・センター Bronx Community Pride Centerは、ビルの2階から4階までを使用したLGBTのユースセンターでした。スタッフは16名。電話相談、家族との関係など各種テーマのセッション、職業訓練、高校を卒業することを目的としたアフタースクール、またユースだけでなく、中年・高齢のLGBTのためのプログラムもやっているとのことでした。
●各担当のスタッフ
「アウトリーチ&渉外担当」、「レズビアン担当」、「ゲイユースを対象としたHIV予防啓発担当」、「ケース・マネージャー」等など。担当に応じて持ち場としているスタッフルームが別れていて、順番に各部屋を訪問して、それぞれの活動について説明を受けました。
※HIV予防啓発担当のケネッシャさん。アカーの予防啓発プログラム「ライフガード」 のことにも興味と共感を示してくださいました。
※センターの内装やレイアウト、建築などを一手に引き受ける大工さん。
●「13歳→18歳×2」の遭遇
彼は、13歳からブロンクス・コミュニティ・プライド・センターに来ていて、
現在は、ボランティアで電話相談で電話も取っていているとのこと。
「就職活動中だよ」とのことでした。
ちなみに、今回視察した岩本も、彼と同じ13歳の時にアカーにやってきて、現在は、ユースを対象とした活動をしている。そのことを伝えると「あなた、素晴らしいわ!!」とガイドをしていたマイアミさんが一言。
●内装はユースによるレイアウト
内装など、私たちが2003年に訪問したサンフランシスコのLGBTのユース施設LYRICリリックとそっくりな雰囲気でした。
とても居心地が良かったので「壁などのレイアウトは、誰が行っているのでしょうか?」と尋ねてみると、
やはり答えは「利用者のユース」とのことでした。
どこのユースセンターも利用者が、部屋の中のレイアウトを行っている。
LYRICには、家出ユースのためのシェルターがあったけれど、Bronx Centerにはなかった。
だから「シェルターのないNY版リリック」といった感じでした。
●来歴と展望
ブロンクス・プライド・センターは、1996年に4人のゲイによって設立されたそうです。設立当初は、ニューヨーク市の別の場所にあったそうですが、後に、今のスペースに引越してきたそうです。越してきた理由は、ニューヨーク市の5つの区のうち、ブロンクス区だけ、LGBTのコミュニティ・センターがなかったから、とのことでした。
ブロンクスのストリート。ごみごみした感じが独特でした。
移ってきた当初は、1フロアーだけだったが、増築を重ねて今の状態になったそうです。スタッフも、「だんだん大きくなってきた」と話していました。だんだん規模を拡張してきたブロンクス・プライド・センターですが、「今後は、どうしていくつもりか?」ということを質問してみました。「今の状態で万全ではないところを強化していきたい。またブロンクス以外の場所での開設も考えていきたい」とのことでした。
「組織を拡張して、大きくしていくためには、新しい人材も必要だと思います。新しい人材は、育っていますか?」という質問に対しては、答えは「NO」でした。 その理由の一つは、「若い人材を雇えるほどの、資金がないから」とのことでした。
私たちが、Bronx Centerを訪問したのは、視察期間の最後の方にあたる12月23日であったので、他の訪問先では質問できなかった、こんな突っ込んだ質問もしてみました。
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LGBTコミュニティセンター LGBT Community Center
LGBTコミュニティセンター LGBT Community Center
ニューヨークのウェストビレッジにあるレズビアン、ゲイ、バイセクシャル&トランスジェンダー・コミュニティセンター LGBT Community Center。4階建てのビルでは、数百のLBGTのグループがミーティングやイベントを行うためのスペースを提供したり、ユースやHIVポジティブへのサポート・サービスが行われています。
キースへリングの部屋
元はトイレだったという部屋の壁一面にキース・へリングの絵が…。1984年、市の所有となっていた空き家のビルを、レズビアン&ゲイ団体が使用していたことから始まるLGBTコミュニティセンター。1989年にはキース・へリングら50人の有名アーティストが内装を買って出たそうです。訪問したときは外壁を改装中。
レズビアン・アートの部屋はある?
ガイドのリーさんについて、センター内をツアーしながら、各部屋を廻っている途中で、ゲイの芸術家によるアートやオブジェが置かれていたり、ペニスをかたどった、ゲイテイストにあふれた装飾が目立ったため「レズビアンのアートが飾られた部屋はないのか?」と質問したところ「レズビアン・アートの部屋はセンターには存在しない」というのが返ってきた答えでした。「レズビアンの部屋がないのはちょっと残念ね」と案内をしてくれたレズビアン・スタッフのリーさん。
「ゲイの名前が冠された部屋があったり、ゲイの芸術家のアート作品があるのは、ゲイがエイズという大きな問題に直面しないといけなかったことと関係している」とリーさん。「そして、レズビアンたちには、ゲイのような大きなムーブメントがなかった、というのがセンターにレズビアンの部屋がない理由。80年代、エイズとどのように向き合うかということがゲイの大きなムーブメントにつながった。レズビアンの問題として、婦人科疾患の問題もあるけれど、歴史的にみて、レズビアンにはエイズくらい大きな危機に対処しないといけない、ということがなかった。今現在も、ニューヨークのレズビアンは、不自由だと感じていない。クラブイベントもレズビアン向きのプログラムも存在するから」。
ちなみに、センターの各スタッフは全員、トランシーバーを所持していて、それぞれ、ハーヴェイ・ミルクや好きな女優の写真など裏にを貼っていました。
HIVポジティブやユースへのサポートサービス
この扉から中庭を経た所にある別棟には、HIVポジティブの人のための部屋とユースプログラム(YES)のための部屋がありました。そこだけは、クライアントのプライバシーのこともあって撮影禁止、中に入るのもNGでした。
その他の部屋は
センターの最上階の一室にスタッフの部屋がありました。それ以外の部屋は、主には、さまざまなグループが集まるためのコミュニティ・スペースとして使用される部屋でした。高齢者プログラムがテナントで入っている部屋、音楽室、図書室、PCルームなどもありました。
黒人ゲイの詩の朗読会
2008年12月20日の夜には、“OTHER COUNTRIES: BLACK GAY EXPRESSION WINTER SOLSTICE OPEN READING”と銘うたれた詩や散文の朗読会に参加してきました。これは、半年に1度、黒人のゲイたちが、自作の詩や短編などを自由に発表する会で、刺激的で自由な雰囲気がよかったです。
当日会場で販売されていた、アフリカン・アメリカンのゲイによる詩、アート、散文、キング牧師と同時代の黒人ゲイの活動家のインタビューなどを収めたアンソロジー『Another Country』(1998年)を購入。
センター主催のクリスマス・ダンスパーティー“DANCE 208 PRESENTS TWINKLE”
12月20日土曜日の夜には、センター主催のクリスマスパーティー参加してみました。ダンス・パーティでは、70代、80代にもなろうかというゲイが、パートナーと、もしくは一人で踊る姿は圧巻でした。センターには、高齢者のためのプログラムも行われていて、さまざまな層のLGBTがそれぞれの生活を充実させることができるように配慮されている、ことが感じられました。